Twitterでも書きましたが、今日4月3日は近藤局長が新政府軍に投降した日、つまり、土方副長や他の隊士との永遠の別れとなってしまった日なんですね。

半月ほど滞在した五兵衛新田(下記写真、現東京都綾瀬駅近辺)から移動し、流山へ入ったのが4月1日で、そのわずか2日後に新政府軍に囲まれてしまいました。



流山では周囲の寺院に隊士が分宿していたため、局長や副長が滞在した本陣の長岡陣屋にはわずかな隊士しか残っていなかったのです。





局長はもはや切腹しかないと覚悟を決めますが、土方副長から咎められ投降することになります。もちろん、この時の名前は近藤局長=大久保大和、土方副長=内藤隼人で新選組であることは伏せていた訳ですが、正体を見破られてしまいます。
そして板橋平尾の脇本陣に幽閉された後、4月25日に現在のJR板橋駅近辺で斬首されてしまいます。





土方副長が勝海舟に局長助命の嘆願に
走るのですが、その甲斐なく処刑されてしまいました。

その後の土方副長の函館に至るまでの活躍は言うまでもないことですが、副長の心の中には常に局長がいて、いつも一緒に戦っていたのだと思います。

今月末と来月に近藤局長と土方副長の命日を迎えますが、4月3日最期の別れの日の互いの胸の内を思いながら、お墓参りに行ってきます。






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