以前、剣道修行について書いたが、私が、剣道を始めたのは、昭和53年頃、札幌である。
その時の師匠は、中川有太郎という先生で、当時70代くらい教士七段の方であった。中学生と稽古するときは、上段をとっていた。
私は、まだ10歳位の小学生で、その先生が、どんな方だったのか、詳しくは、よく知らない。今思うと、元軍人の方だったのではないだろうかと思う。
当時70代くらいの中川先生は、自宅から、剣道着、防具を着装し、面と竹刀を担いで来る古武士的な方だった。子供ながらにその姿はかっこ良かった。
稽古の始まりには、
夫剣者瞬息心気力(それ剣は瞬息にして心気力一致)
と中川先生の後に2,3回全員で、復唱した。
当時の私は、訳も分からず、復唱していたが、北辰一刀流の言葉らしいと習った。
先生は、余り細かいことを指導しなかった。元気よくやれ、牛若丸のように軽やかに動け、とかしか記憶がない。
(本当は、色々指導していたのかもしれないが、子供で覚えていないだけかも)
なので、剣道の技は皆んな下手くそだったように思う。喧嘩剣法のようにひたすら、ガンガンやる剣風であった。
稽古が終わると、少年達の傷んだ竹刀を沢山抱えて帰る。そして、次の稽古までに修理して返してくれる優しい先生であった。
今では、考えられないが、最初の昇級審査で、私は何級を受験したのか知らなかった。審査員が見てから判断するのか、先生が言わなかっただけなのか、分からない。
審査が、終わった後、何級だったのかな、
最初だから10級かな、9,8級くらいに飛び級したかな、
なんて兄と話してたところ、
後日、7級に合格していた。下の級に合格していた者もいたので、けっこう嬉しかった記憶がある。懐かしい思い出である。
つづく・・・