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                        ※平成10年龍撮影

 

 私の居合道の大師匠、江坂静厳(弘)先生が、本年7月29日にご逝去されたようだ。享年97歳。

 大変お世話になりました。多くのご指導と薫陶をいただきありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

〇江坂先生の略歴

   大正14年(1925)生まれ。本名:弘。福島県保原町出身。旧制中学時代、剣道を学ぶ。昭和33年、入隊した航空自衛隊岐阜基地で、無雙直傳英信流二十一代宗家・福井虎雄師範に出会い、師事する。のち、二十代宗家・河野百錬師範からも薫陶を受け、以来、無雙直傳英信流一筋に研鑽、指導を手がける。昭和62年、全日本居合道関東地区連盟 会長、平成12年、全日本居合道連盟 副会長。平成22年、一般社団法人 正統正流無雙直傳英信流居合道国際連盟 創立 会長、名誉会長を務める。

 

 江坂先生には、実に国内に収まらず、海外にも多くの弟子が居て皆さんそれぞれ思い出があることだろが、私も多くの思い出があるのでその一部を回想したいと思う。

 

〇江坂先生との出会い

 平成5年上京した私は、まだ25歳、居合道の情熱が冷めず、

    新しい道場を探そうと、連盟の会誌を見ていた。

 

 まだ、ネットどころか携帯も持ってない時代だ。会誌を眺めていても全く知り合いもいないし、分からない、悩んでいてもしょうがない。

    いっそのこと電話してどこか道場を紹介してもらおうと考えた。グッ

 

 関東地区連盟の会長なら、全ての道場を把握しているだろうから、どこか紹介してくれるだろうと考え、

    思い切って江坂先生のお宅に電話してみた。

   勿論、江坂先生のご高名は、まだ駆け出しの私にも、  

  轟いていた。!!

 

 まだ、20代の私は、若さの勢いで思い切って電話すると、電話に出たのは、奥様だった。ご挨拶すると、

    主人は今留守なので、主人に伝言しとくと、丁寧にお話ししてくれたので、どこか道場を紹介していただけないでしょうかと等、要件を伝えて電話を切った。

 

 その後、数日して、

    ご丁寧な手紙とパンフレットが届き、是非、江坂道場 

  に入門するように書かれていた。

    まさか、会長の道場に入門出来るなんてびっくり格式が高そ  

  うで緊張が走ったのを覚えている。

 

 その後、せっかくなので松戸道場にとりあえず行った。そこにこ古武士的な江坂先生が居た。ご挨拶すると、

   よく来たね。不慣れな所に良く一人で来れたね。笑い泣き

 と温かく迎えてくれた。笑い泣きこの日から、江坂道場に入門し稽古が始まったのだ。

 

〇厳しく内容の濃い稽古

稽古が始まり、指導は厳しかったように思う。道場内の稽古の他に、毎週日曜日には、関東のあちこちから、多くの高段者の先生達が、指導を受けに来る。武道場内は一杯だ。

 そんな日は、一人ずつ前に立ち、元立ちをやらなければならない。そこで江坂先生の指導の激が飛ぶ!高段者の先生も冷汗をかいているように見えた。中には次の技を度忘れしてしまう方もいる。そんな時も先生はすぐには教えない。

    次の技だ、早く次の技をやれ と こわー!ガーン

 指導の中でよく覚えているのは、

    お前達は、いくら教えてもよく忘れるよな~

と言ったり、皆の集中力が切れているように感じたのか

    心そこにあらざれば聞いて聞こえず、見て見えず!!

とも言われた。

 しかし、本当に内容の濃い稽古であった。

 

〇懐かしいエピソード

 渋谷道場での稽古の後、いつものように、皆で食事をした帰り、駅まで外国人の弟子が、先生の荷物を持って歩いていた。私はのその外国人生徒より先輩なので、そのままにしていたのだがびっくりマークびっくりマークはてなマーク 最後に駅に着いて、荷物を受け取るときに、

   ありがとう 外国人は持ってくれて 日本人は誰も荷物 

 持たないガーン

  先生の怖い顔がギロリ! ひえ~ガーン 我々は凍り付くタラー

 それ以来、日本人では一番若手の私が率先して持つことにした。

 そんなことも今では本当に懐かしい。

 

〇優しい師匠

 厳しい先生も、私が大会で優勝した時は、

     優勝したな おめでとう爆  笑

とにこにこ笑顔で喜んでくれた。先生に褒められた時の嬉しさは今も忘れられない。

 しかし、勝てなかった時は、

     お前は、一度掴んだ栄光を簡単に手放すなよ ガク⤵

 6段に昇段した時などは、わざわざ手書きの絵葉書を送ってくれたりと、本当に可愛がって頂いた。

 

〇複雑なエピローグ

 私が、仕事や様々な事情で、道場を休部してる間に、突然、江坂先生は新しい連盟(国際連盟)を立ち上げたと聞き、本当にびっくりした。

 様々な複雑な事情があり、結局は20数年も経ってしまった。晩年はあまり先生とも疎遠になってしまったが、年賀状は毎年やり取りをしていた。いつか私が顔を出すのを待っていてくれたのかもしれない。そんなことを考えると一抹の寂しさがこみ上げる。

 まだまだ、色々思い出があるのだが、長くなるのでまたの機会にしたいと思う。

 

 江坂先生、どうか安らかにお眠り下さい。