居合人にとって、日本刀を使い実際に斬ってみる、斬るとはどうゆう感じか、これを考えたことのない方はいないだろう。

 私もこれについて、若い頃から考えるようになり、いろいろな方々の意見を聞き考えてきた。

 

○中村泰三郎先生

 20数年前に、抜刀道の第一人者である、故中村泰三郎先生と2時間以上お電話にて、抜刀道についてお話を伺う機会があった。この時の貴重なお話は、当時、まだ20代で、若かった頃の私の良い思い出であり、宝だ。

 中村先生に、私は、「切ることについて興味があります」等質問したところ、先生は即に「居合だけいくらやっても斬れるようになりませんよ。とはっきり言われ、しかし、あなたのように、剣道、居合をやっている人は、すぐに上手くなって、抜刀三段くらいまですぐ行きますよ。最近は、女子も上手くで、バンバン切りますよ。また、最近千本切りの偉業を達成した者もいますよ。本当に大したもんです。等々色々な話をして頂いた。

 また、私の好きな剣豪作家、「(故)津本陽さんに抜刀を指導されたんですよね。」と聞くと、「ああ、津本はね豚を斬ったりしたよ」と笑ってお話してくれた。

 その他、八法斬りの話等様々なお話を伺い、やってみてはどうかとお誘いを受け、一時はその気になったが、その時の様々な事情で結局は一度もご教授願う機会はなかった。

 そして、数年前に、試し切りを体験する機会があり、畳の巻藁を切ってみたことがあるが、これが、なかな難しい、何度がやるうちに段々とコツが分かってきたが、やはり切には切の技術があるんだんな、と感じさせられた。

 

○福井聖山宗家 

 英信流21代宗家 故福井聖山先生は、試し切りを禁止していた。それは、日本刀は切れるように出来ているから、刀を信頼しろ、余計なことはしないで技の修業に専念しろ、といった趣旨だったように理解しているが、直接伺ったことが無いので真偽は分からない。

 ある人から、旧軍人であった福井先生は、技の説明の合間に人を斬ったことがあるような説明をよくしていた。と聞いたことがあるので刀の切れ味をよく理解していたことは間違いだろう。

 

 居合人もそれぞれ目指すもの、修行の方法が違いますが、我々の流儀は理合にかなった形の修行を最重点としているが、斬りも刃筋の確認、切ること自体の感覚を掴む、こととしては非常に得るものがあるだろう。

しかし、斬ることを重要視するのか、技を磨くことを重要視するかは個人の判断ということだろうか。

ただ、言えることは、斬の稽古は、刀を痛めることは確かだ。それだけは、私は心を痛める。

皆さんの考えもそれぞれであろうと思いますが、現代に生きる侍を目指すことは非常に難しいことだ。 龍水