年々、新世界の街並みが変貌を続けているのと同じく、ジャンジャン横丁も年々、変貌しています。
ジャンジャン横丁に新しい店舗が並んでいますが、この前を通るとき、いつも思い出す光景があります。
当時、ジャンジャン横丁を背にしてスパワールドの第二駐車場がありました。
そのため、駐車場の裏はジャンジャン横丁の商店街になってますが、駐車場の塀になってしまいました。
そんな中、2006年頃から、危機感を募らせたジャンジャン横丁の若手商店主さん達が集まり、様々な企画やイベントを実施し、ジャンジャン横丁の活性化に向けて動き出しました。
ジャンジャン横丁『新世代の会』というグループでした。
中心メンバーは、煙草屋の店主、寿司屋の店主、串かつ屋の店主、お好み焼き屋の店主だったと思います。
たぶん、詳しい方なら誰かわかると思います。
当時は40歳代〜50歳代だったメンバーは、今では60歳〜70歳代になっています。
『新世代の会』のメンバーから、新世界町会連合会の会長など、新世界のトップになった人もおられました。
それほど影響力があったグループだったんですね。
そういえば、現在の通天閣の社長、当時の副社長と激論を交わしたメンバーもおられ、新世界では武闘派、革新派というイメージだったと思います。
振り返ってみても、このイメージは当たってました笑
ジャンジャン横丁のキャラクター『ジャンジャン来太郎』を作ったのも『新世代の会』のメンバーでした。
『新世代の会』は、商店街に訪れる人達が楽しんでもらえるような仕掛けを作り、商店街の塀に掲示しました。
それらは手作りで、お金をかけずに商店主さんのアイデアと工夫が、様々な名物スポットを生み出しました。
かつて、ジャンジャン横丁の名物スポットにもなっていた「誓いの鍵」、「運命の赤い糸」、「恋人達の真実」、「新世界今昔写真展」などが設置されてました。
当時の名物スポットを簡単に紹介しましょう。
■新世界今昔写真展
昔の風景と今の風景の写真を並べ、新世界の変貌を解りやすく見ることができました。
■運命の赤い糸
左右の赤い紐をカップルが引っ張り、同じ紐を引くことができたら、その2人は結ばれる運命にある、というもので、単純なものですが、意外に人気がありました。
■誓いの鍵
南京鍵に恋人達が願い事を書いてハ-ト形のボードに掛けます。
「誓いの鍵」には、多くの人達の想いが詰まっています。
南京鍵には2つの合鍵がついていて、ボードに掛けた南京鍵を外せるのは2人だけ。
他の人は外すことができません。
誰からも仲を切り裂くことができない、永遠の愛を誓える、これがジャンジャン横丁の「誓いの鍵」なんです
予想以上の好評で、1000個以上の鍵がかけられてました。
■恋人達の真実
「ウソつきが口に手を入れると抜けなくなる」という伝説があるローマの『真実の口』をもじって、商店街の店主さんが作った『恋人達の真実』(通称『ビリケンの口』)では、ビリケンさんが愛の本気度を診断してくれます。
ビリケンの口に手を入れて、口の裏に彫られているビリケン様からのメッセ-ジを見つけます。
ビリケンの口の裏に彫られているビリケン様からのメッセージとは、『LOVE』という言葉だったんです。
このようにジャンジャン横丁には、様々な手作り観光スポットがあり、テレビや観光雑誌、新聞でも紹介されたことがあります。
その他、今でもジャンジャン横丁を歩くと、商店街のBGMの中に、演歌歌手•七海りかさんの『恋してジャンジャン』が聴こえてきます。
ジャンジャン横丁の応援歌を一般公募して選ばれた楽曲です。
たぶん、カラオケにも入ってると思います。
カラオケボックスに行ったら、検索してみてください。
また、ジャンジャン横丁にイルミネーションを飾ろうと、神戸ルミナリエの1000分の1の規模である『ジャンナリエ』が点灯された時もありました。
点灯式も行い、ちょっとした恒例行事になってました。
点灯式には、新世界PR大使を務めていたOSAKA翔GANGS、演歌歌手•吉野悦世さんも出演してました。
小さいながらも情緒あるジャンナリエでした。
点灯式のフィナーレは、七海りかさんの『恋してジャンジャン』で盛り上がりました。
ジャンナリエ点灯式、当時、私は企画、警備などお手伝いをしたり、通天閣からビリケンの着ぐるみを借りてきて、中に入ったこともありました。
ジャンジャン横丁『新世代の会』によって、多くのイベントが開催され、観光スポット、名物が作られました。
今から思えば、観光学で教えている内容を、観光の専門知識がない商店主さん達の熱意と工夫で実践していたと思います。
上記の企画以外にも書ききれないぐらい様々な活動を展開されてました。
新世代の会の活動は、地元商店主さんらが街の活性化に向けて動き出した頃のもので、新世界の活性化への礎とも言えるでしょう。
私が新世界の活性化に向けての活動に参加するようになったのも、ジャンジャン横丁『新世代の会』の活動に刺激を受けたのが始まりでした。
私も新世代の会と活動をしていくにあたり、のちに、新しく『新世界援隊』という団体を作り、新世界全体での取り組みを行うようになりました。
2016年9月、手作り観光スポットが掲示されているジャンジャン横丁の塀、具体的に言うとスパワールドの駐車場の壁が取り除かれ、店舗の建設が始まり、現在は様々な店舗が並んでいます。
今となれば、ジャンジャン横丁のかつての名物スポットを知らない人達も増えています。
そして、これから先も、街並みは変貌を続け、来訪者の世代交代も進んでいくと思いますが、当時のジャンジャン横丁の若手商店主さんらの活動や名物スポットの存在は後世に語り継いでいくべきもので、新世界が発展していく中で、ひとつの歴史でもあるでしょう。
当時、ジャンジャン横丁の名物スポットの作成にに携わったメンバーのひとりは、
『名物オブジェが無くなるのは一抹の寂しさはあります。しかし、商店街の衰退の危機の中で、少しでも街を活性化させようという気持ちで作り上げたもので、新しい店舗が増えることで、商店街に賑わいが戻り、名物オブジェの役割が終わったと思います。商店街に多くの店が並んでこそ、活気ある商店街です。』
と、おっしゃってました。
多くの観光客で賑わう今の新世界の状況は、長い歴史と活動の積み重ねの結果であることを、今更ですが実感します。
いつも以上に記事が長くなりましたが、新世界の活性化に向けた活動の礎を作った『新世代の会』の活動に敬意を込めて、この記事を書きました。
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