新世界からこんにちは。
新世界といえば串カツ、通天閣、大衆演劇、思い浮かべるものはたくさんありますが、忘れてはならないのが将棋です。
通天閣の下には明治から昭和にかけて活躍した坂田三吉棋士ゆかりの「王将記念碑」が設置されています。
※坂田三吉棋士には「阪田」の表記もあり、一定していない事情があるため、
本記事では王将記念碑の表記に合わせて「坂田」の表記とさせていただきます。(読みはどちらも「さかた」)
坂田三吉棋士は1870年当時の堺県大鳥舳松村(現・堺市堺区協和町)に生まれ、1886年頃までには日本橋の履き物問屋に丁稚奉公に行っていたとされています。その頃にはすでに縁台将棋で大人顔負けの活躍をしていました。
その後、賭け将棋で腕を磨きアマチュアの将棋指しとして有名になりました。
1910年には関西将棋研究会を発足し、自称七段を宣言。
その際、自称である「七段」に異議を唱えた棋士達をすべて駒落ちで破ったといわれています。
その後も将棋とともに波乱万丈の人生を歩んだ坂田三吉棋士ですが、1946年に死去。
没後まもなく製作された坂田を主人公とする演劇作品「王将」が好評を得て、坂田の名は将棋指しとして不朽のものとなりました。
この戯曲「王将」とそれを原作とする映画「王将」の大ヒットにより、死去から9年後、日本将棋連盟から名人位と王将位が追贈されました。
そんな阪田三吉ゆかりの地である新世界には、かつてたくさんの将棋クラブがありましたが、現在まで残る将棋クラブは「三桂クラブ」さんだけでした。
そして、ついに「三桂クラブ」さんも80年近い歴史に幕を下ろすことになられました。
今日も店内は大繁盛しておりましたが、建物の老朽化やコロナ禍など複数の要因があるようです。
詳細はこちらのYahooニュースでも紹介されておりましたのでぜひご覧ください。