エホバの証人と離婚 4 子供と別れる場合に | 新緑のブログ

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真面目に突き詰めて書こうとすると進まないので

ほろ酔いで書いています。

 

なぜ怪しげなJW活動に心血を注いでしまったか。

 

簡単にまとめると

・知的探求心を満たしたかった

・人の助けになることをライフワークにしたかった

・世の中の非情で不公平で残酷な事柄の犠牲になっている

 人々や生き物達に救済があって欲しかった

・拝金主義や物質主義が虚しいと感じていた

・人生に価値ある目的が欲しかった

 

子供ながらにこのような気持ちがあったので

JWの教理や活動にハマってしまったのだと思います

一つ一つの点について詳しく書こうかと思ったのですが

面倒くさくなってしまったので端折ります。

こうした思いや考えには生まれながらの個性や環境が

関係していると思われます。

 

そしてまたまたざっくりとまとめてしまうと

世間的には大学を出て安定した職業についているというポジションの父親には、

こういったことはJWになる事が決して近道や解決策ではなく

他にたくさん道がある。

答えがないものもあるし

答えが人それぞれ違うものもある。

今、世の中を知らない子供のうちに

偏った情報に基づいて決めてしまうものではない。

また

今は母親についてJWの道を選んだとしても

進路変更したくなったら人生の先輩として、親として

できる範囲で力になる気持ちがある。

そういったことを伝えてくれていたなら

また後々のいろいろな状況において選択が違っていたかもしれないなと思います。

辞めてから一緒に旅行した時には

母親を見て、同じ道を選んだら私も絶対に変えられないと思ったと言っておりましたが。

これは、子供をJWから守るために我慢して離婚しない夫の立場の方や

好きな女性がエホバの証人で、なんとか辞めさせたいと

いろいろ調べたりアプローチをしたりする男性の話などを知ると

もうちょっと頑張ってくれても良かったのにとも思います。

そして

父親は再婚し子供ができたりしたので

わたしがその後一度だけ他の人生を考えた時も

一時的にでも身を寄せたり頼るような関係ではなくなっていました。

 

このように書いてみましたが

今は親自身にも人生があること

全てを捨てて普通の結婚をし直したいという気持ちにもなり得ること

私自身もあの時あの状況で自分なりに選択し決定していたこと

いろいろとわかっているコトもあります。

 

そしてあのままあの家庭で両親が離婚しなかったら。

わたしはエホバの証人にはなっていなかったでしょう。

でも、あの環境が幸せではなかったし、家族が、家庭が好きではなかった。

そしておそらく大学にいって堅い職業についていたでしょう。

でもいわゆる機能不全家庭ですから

いろいろな思いや隠し事を抱えて自分らしく生きられただろうか。

そういったものから逃げるように結婚したとして

幸せになっただろうか。

もしかしたら良い出会いがあって

子供を産む人生になっていたかもしれないし

なんともいえません。

 

ただ今自分を好きになってくれる人は、

15歳でエホバの証人になり

高校時代は貧しいのにアルバイトもせずに補助開拓奉仕という宣教活動に明け暮れ

22歳で田舎の地域に移転

29歳から外国語会衆

30代後半で国際結婚

40代はじめに覚醒、離婚、エホバの証人を辞めて

世の中の荒波にデビュー。

こんな道を辿りその中でいろいろと感じて選んできた自分を

好きになってくれているんだ

と思うしかないです。

 

あとは書けたらですが

父親が反対者としてしていたことで

良くも悪くも印象に残っていることについて書きたいですね。