長らく間隔が開いてしまいました。
前回更新が8月末、正直僕自身も存在を忘れていたこのブログですがブックマーク整理をしていたら発見、じゃあ書いてみようかということで。
まあ、とりあえずの更新が目的なので中身は無いものだと思っていただけると安心してつまらない文章を並べ立てることができます。
うい。
ひとまず前回更新から今まで俺が何やってたかについて。
9月 サークル合宿で神津島に行った。FMSの話しづらかった同期、先輩と仲良くなれた。エモい話大会で苦しい思いをした。
10月 多摩祭があった。楽しんだ。
11月 市ヶ谷祭があった。楽しんだ。執行部引継ぎの涙を見て、あのエモーショナルな空間にいたい!執行部やりたい!と一瞬思ったが、自分が柄じゃないことに気づき考えを消す。
12月 ジュンロック、クリパ。ノロウイルスにかかり朦朧としていて記憶があまり無い。このころから、単位に対して足掻く術が減っていき危機感だけが募りつつも何もしない日々が加速していく。
1月 年明け。身のある1年にしようと誓う。単位がなかなか取り返しがつかなくなってくる。ノロウイルスの診断書という出席における死者蘇生カードを持ち歩きながら、経済棟をうろつく日々が始まる。
2月 サークル冬合宿。 人生で2度目のスノーボード。りあ充もすなるすのぼといふものを、非りあもしてみむとてするなり。山本君が凄く親切だった。多謝多謝。夜は斉藤さんと古川が謎のカードゲーム。
3月 ひやひやの進級発表。なにやら進級していた。26単位で余裕があるように見えて、体育以外はC連発。紙一重だった。
こんな感じでした。
近況に絞ってみると、後期ライブとやらがございました。
Sludgeworthがエモ過ぎて泣いてしまうところでした。Penpalsは進藤さんとやれたことが嬉しすぎて、最後までろくにできなかったけど楽しかった。TNT、谷津のコーラスサボりが印象的。でも常に努力してる谷津はかっこいいから問題ない。シャム、曲削りのため非常にあっさりと僕の後期出演は終わる。
そんな最中の最終日、今騒ぎの大地震が起こる。
ああ怖かった。天災だけはどうにも、怖い。
決して大学で友人が多いほうじゃない僕(軟らかな表現)ですが、この歳になると地方に友達ができてきています。
岩手の友人が一人行方不明になるなど、今までになく近い位置で起きた災害のように感じられました。(その友人は見つかりました。報告を受けたとき心から嬉しかった)
交通が止まった、電気が止まった、その程度のことで被害者面する都民。だなんていわれ方もしていますが、その個人個人に人間の繋がりがあり、人によってはそれが断たれている。最悪のケースになってしまった人もいるでしょう。
そういったものを含めて被災と呼ぶべきではないでしょうか。
もちろん、自らの足元が直接的に揺れ動き、我が家がつぶれ、津波に流され・・・。
これこそ、日本中が目をやり、手を差し伸べなくてはいけない被災者達です。
それは当然なのですか、東京を中心とする首都圏、はたまた直接的な被害は無い関西、九州地方の人間達にも今回の災害を原因とする悲しみが降りかかっているはずです。
そういったものも被災なのではないでしょうか。
物資を送ってあげる、募金をしてあげるなどなど、あたかも自分を被災地と別の立場に置くような援助の言い方をしている人を見かけるとあなたも被災者なんだよ、被害が軽いだけ。手を差し出すのではなく、自分もしゃがみこんで肩を貸す、そんな考え方を持ってほしいです。
ういうい。
柄にも無いことを書きました。
バイトまで寝ることにします。
節電のためにね。
えらい!!