利用者はなぜ「先生」と呼ぶのか?


障害者グループホームの職員に限らず、障害福祉施設の職員に対して、利用者がこう呼んでいることを見聞きすることがあります。


我々職員は、教員免許の取得有無を採用の際に問われないし、なくても職員になれるのです。政治家でもないし、弁護士でもないし、師匠でもないし、先生と呼ばれる筋合いはないのです。


それなのに、何故でしょうか‥


これについては、諸説あるのですが、よく聞かれるのが施設職員が「指導員」と呼ばれていた時代に遡る説。かつての施設職員が利用者を「指導する立場にある」という考えが横行していた時代からの名残り。


当時、利用者にその呼び名を強制しており、職員同士も名前に「先生」などつけて呼び合っていた。結果的に今も呼ばれるに至ったという話です。


私自身においては、普段の現場で、利用者や保護者から「先生」と呼ばれると、「僕は教員免許をもって働いている訳でもないですから『さん』でいいですよ、」と声をかけ続けています。


その甲斐もあってか、殆ど「さん」で呼んでもらっているのですが、利用者の中には使える言葉が限られている方※1もいて、そういった方が「先生」と呼ぶのは仕方ないとも思っています。


一方で、「先生」と呼ばれるのは決して悪い気がするものではないのです。


日本には「謙遜の美学」があり、一歩へり下って相手を立てることを良しとしますが、この辺も職員のことを「先生」と呼ぶ一因にあるように思います。「さん」ではなく「先生」と呼んだ方が、呼ぶ方としても気持ちがスッキリするのです。


「先生」と呼んだ方が職員のことを信頼しているという表明になるし、そう呼んだ方が呼んだ本人にとっても納得がいくのです。先生の話だからしっかりと聞かないといけないと思うのです。保護者であれば、先生と呼べる相手に我が子を任せているのだから安心していいんだ、と自分自身に言い聞かせている部分も大きいようにも感じます。


「職員」という言葉より「先生」という言葉の方が分かりやすく馴染みがあるのかも知れません。


逆に言えば、職員は「先生」と呼ばれることに優越感を感じることなく、謙虚な気持ちでその言葉を受け止めて真摯な姿勢で日々の業務に向き合わないといけない、と思うのです。(以上)


例えば「先生」「ねーちゃん」「お母さん」といった数個の言葉以外で相手のことを呼べない


参考文献:なぜ入所施設なのか/東雲心角