『鬼滅の刃』吾峠呼世晴原画展@岡山会場へ行ってきました


といっても数日前の話になります。


岡山県立美術館で開かれた原画展(20231215日〜2024218日)へ行ってきました。 


開催期日も数日となる休日午前中でしたが、整理券配布とまではいかないものの鬼滅の刃人気は健在だ、と感じました。


会場に入ると、コミック本表紙の大判がズラッと並びその前に炭治郎と禰󠄀豆子のフィギュアがあって入場者を出迎えてくれます。ここが唯一の写真スポットです。以外の場所は写真撮影禁止です。 


しかし、中にあったのは、まさに原画、原画、原画の数々。コミックスの原画がキャラクター毎に並んでいて。それこそ数点のフィギュアは置いてありましたが、フィギュアを見ている人よりも壁に掛けられた原画を見ている人たちばかりです。原画を見るために列ができている感じです。客層は大人ばかりです。子供も何人かいましたが、列に並んで原画を見るのはやはりしんどいようで、大人を置いて先の方へ行ったり、通路に置かれたソファーに座って携帯ゲームをしています。そうです、子供用チケットも売っていますが、内容は大人向けの展覧会だと感じました。


原画展で、所々でしたが改めて鬼滅の刃を読んで、もちろんあれほど人気を博した漫画ですから名シーンが多くて。特に目に止まったのが、このシーン。鬼の頭(かしら)である『無惨(むざん

)』から人間である主人公の『炭治郎』が、「醜い姿だ。これではどちらが鬼かわからないな竈門炭治郎」と声をかけられるシーンです。 


このシーンを読んで思ったんです。そういえば僕も1020代の頃はやたら外見ばかり気を遣っていたなぁー、と。あの頃は、金融関係の仕事に就いていたこともあり、ルイヴィトンのカバンにベルト、バーバリーのスーツにコート、グッチの靴を履いて仕事をしていました。でも、中身はスッカラカンでした。(笑)自分史の中では、将来に不安を感じながらも今が楽しければいい、と考えていた時代でした。ライフサイクル理論を説いたエリクソンの言葉を借りるなら、モラトリアム(猶予期間)です。その期間を経て、今は福祉の業界に。福祉業界で14年を経てアイデンティティ(自我同一性)をやっと確立させることができた感じです。


今は、はっきりと言えます。見た目の前に、中身が必要です。中身が整っていて、外見も整っていたら最高です。外見だけとか、見た目だけとか、もったいなと感じるのです。 


さて、鬼滅の刃の展覧会は419日〜623日まで札幌会場(東1丁目劇場施設)で行われるそうです。漫画は終了して久しいですが、映画も公開中ですし、テレビも始まります。楽しみですね。


最後まで読んでくださった方ありがとうございました。よかったらコメント欄で好きなシーンを教えて下さい。(了)