佐世保事件をはじめとするマスコミの弊害(1/3) | No panda,No life ★ OSAKA

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先頃佐世保で世間を驚かせる事件がありました。

我が国では何年間かに一度、この様な悲惨な事件が起こるように思います。

私自身統計を取ったことがありませんので他国との割合などと比べようがないのですが、私の耳に届く範囲から考えて世界的に同じような傾向にあるように思われます。

私の記憶では、昭和から平成に変わる前後辺りから未成年者による理解不可能な殺人事件が起こるようになったと感じています。
勿論昔から残忍な事件はあったのですが、加害者が低年齢化したのがそのあたりだったように思います。

どの事件もそうですが、マスコミ等では加害者の性格や家庭環境、普段の生活態度、又は病名などを勝手にストーリー立てて、ある枠に嵌めようと躍起になっています。
マスコミはこの様な事件が起きると「猟奇的殺人事件」等と言い放ち、何も分かっていない事柄でも憶測だけで物事を把握しようとしたりして、私から言わせれば無責任に世間を撹乱して不安を煽っているだけに過ぎません。

あるコメンテーターなどは、勝手に病名を付けてこの加害者を糾弾しようとした為、番組中に司会者や進行係が謝罪をする羽目に陥るという醜態まで晒しています。

私は以前から自身のブログで心や頭の中の事は理解不可能であると言い続けています。

ですから、専門家の医師でさえわからないものを、番組の司会者やゲストコメンテーターが憶測で話をしたりすることには以前から不快を感じています。

今回の加害者をある法則に従って枠にはめこんで一体何になるのでしょうか。
私でもたまにあることですが、些細な事であろうが大きな事であろうが自分自身で説明不可能な行動をとることがあります。
皆様は如何でしょうか?

例えば、言うつもりじゃなかった事を言ってしまったり、買うつもりもなかったのに衝動買いをしてしまったり、絶対自分に似合わない色を選んでしまったり等です。

この様な事と今回の事件を同じレベルで論じる事は不謹慎だとお叱りを受けるかもしれませんが、私にはさほど違ったものには感じません。
只、程度問題だと思うのです。

それは病気とか性格とか、あと生活環境等とも全く別物で、一人一人の心のなかにある闇の部分を個人がどの様に処理をするか、どの程度までそれを理解しているかにかかってくるのではないかと私は考えています。

「今回の加害者に病名をつけるとすれば」と専門医に聞いてみたとしたら、殆どの医師が病名はつけられないと言われると思います。

それはある意味病名をつけることにより、元々その病名をつけられた方々に対する影響が大きいこともあるでしょうし、別な意味でははっきりとは分からないから断定はできないのではないでしょうか。

私が勝手に思う事ですが、加害者は病気とかではなく「心の欠落者」と考えたほうが腑に落ちる思いがいたします。
脳内を調べれば常人とは若干違った結果が出るかもしれません。
しかし、それとて地球上の70億人をすべて調べての結果ではないわけですから、何処まで当てになるかは分かりませんし、この様な話は何処まで行っても憶測でしかないものと私は思っています。

ここ数年前から授業を落ち着いて聞いていられない子供が増えております。
またゲーム依存傾向の子供も増えているようです。
以前のブログでも書いたことがありますが、これらは環境ホルモンのせいではないかと私は考えています。勿論これも何ら憶測の域を出るものではありません。

それに、今回の加害者がそれに当てはまるかどうかは分かりません。

何故ならば、今回のような事件は昔にもあったようですが(時代背景が違うのでどれだけ酷似したものかは不明)、落ち着きのない子供や、何かに依存しなければならない子供は昔には存在しなかったようだからです。

これからもこの様な理解不可能な事件は起こるでしょう。
それは一人一人の心の闇の部分が無くならない限り未来永劫無くなる事はないと思います。
乱暴な言い方になりますが、その様なときに、その人物を何かの枠にはめようとしたり、理解しようとする必要はないのではないでしょうか。

只、自分の子供でなくても、駄目なものは駄目としっかりと叱れる大人が増える事でこの様な事件は少しでも減るものだと私は思っていますし、減って欲しいと考えています。

2/3 へ続きます・・・





ほな!