ではなぜ玉ねぎかですが、選ぶということ=自分の意志=自我と思いませんか?

 

私は小さいころから「あんたは我が強いね!」と母に言われてきました。

で、自分が決断しだしたのはいつ頃からだったかなと思って、自分の記憶をさかのぼってみたんです。そうしたら2,3歳の時に親戚の家で「一冊選んでいいよー」と絵本を選ばせてもらった時まで記憶をさかのぼることができました。照れ

もちろん髪の毛をのばしたいのに反対されあきらめるということもありました。えーん

でもあきらめるという決断をしたのは私自身でその感覚はしっかりと残っているんです。それはまるで玉ねぎのようにむいてもむいても私の中に『我』があるんです。

乳児は自分と母親の区別がつかなくて、自我は自己主張を始めるじきから芽生える。という説もあるようですが、私は、確かにそういうこともあるけど…?って思います。

それ以前の月齢の乳児に対して やりやすい子。やりにくい子。よく寝る子。○○な性格。などと親が話しているのを耳にすることがあると思います。性格というとふわっとしてやさしいイメージですが、それは『我』だと思います。

だから私は、やっぱり『心は玉ねぎだ』と思うのです。