親鸞聖人もしなかりせば、絶対に聞くことができなかった真実を


富山県の親鸞会館にて、2日間のご縁を頂きました。


今日は、北広島での講演会でしたが、


休憩時間に、降誕会のお話で盛り上がりました。


「利他の信楽うる人は


願に相応するゆえに


教と仏語にしたがえば


外の雑縁さらになし」


いずれの行のお言葉も、短い紙面では、あらわせない


とても深く、尊い内容です。


針の先でついたほども、まことのかけらもない凡夫が、


心で何かを信じている信心では、絶対に幸せになれませんよ


阿弥陀仏から賜る他力の信心「まこと」の「こころ」とよむ信心


こそが、全人類が求めてやまない絶対の幸福なんですと、


聖人は、『外の雑縁さらになし』と4行目に示されています。


 『願に相応、願と一つになる。願の通りの身になること』こそ


が、人生出世の本懐ですが、それには『教』にしたがい、


『仏語』にしたがうのですと、詳しく、願とは、教とは、仏語と


はと教えて頂きました。


ご縁があるということは、有難いことです。


親鸞聖人の教行信証というお聖教の最初のお言葉に、


「遠く宿縁を慶べ」と記されていますが、人間に生を受け


阿弥陀仏の願心を聞かせて頂くご縁が独りでも多くの


方にあれば、どんな宝を貰うよりも尊いことだなぁと、


また、蓮如上人の『宝の山にいりて手をむなしくして


帰らんに異ならんものか』のお言葉もかみ締めずに


おれません。


『皆さん、聞いてください』 親鸞聖人がかって、越後でも


関東でも、1軒1軒訪問されて、このように仰言って、


法を説かれたことであろうと思います。


 しかし、今日もまた、聖人は、浄土からかえられて


直ぐおそばで、ご苦労され、大活躍しておられると


偲びます。


他力の信心一つを、聞かせて頂き、その身に近ずか


せて頂きましょう。