みなさんのおかげさまで!
しんらいライフサービス株式会社 寺﨑道弥です。
先日50歳(ver.50)になりました。
「35歳で激死(←造語)する」とか言ってたのに、生き長らえてしまいました。
小学校、中学校、大学の同級生の片手以上が既にこの世を去っている年代であります。
50歳ってね、何かドーンってきますよ。
昨日たまたまやったアンケート調査で、今までは「40~49歳」とかに〇してたのに、「50~59歳」に〇してしまいましたよ
人間のアップデートはバージョンアップするどころか、体力気力は低下するし、人の名前思い出せなくて「アレが」「何だっけ」が増えるばかりでロクなもんじゃありませんよね
開き直って「怖いもんなし」になってきたことと、「ズル賢さを覚えた」ことぐらいでしょうか?
目を閉じれば、頭の中は20代でしかないんですけどね。
もうね、老いを受け入れて楽しもうと。
50歳になることは通過点でしかありませんが、半年ぐらいまえから色々と思うところがありました。
今日は、その辺についてと今後について書いてみたいと思います。
長くなるので、超暇な方のみお付き合い下さい。
「人生の扉」これを聞くと自己投影して泣けてくるおじさんです
まずとにかくありがたく感じるのが、大病を一切したことがなく、入院経験がありません。
これは両親が良い身体で産んでくれて、育ててくれたからであります。
今まで何とも思っていませんでしたが、こんな事思うようになったのも、この歳になったからでしょうか。
それから「ご縁で生きていこう」と思うようになりました。
この国、あの両親、ここで育ち、今この立ち位置にいる。
冷静に考えると、不思議なことですよね。
全ては仕組まれているかのような。
神様がいるとしたら、私という箱(身体)に寺﨑道弥のアイデンティティをヨイショって入れた、みたいな。
私が産まれた時から人生やり直したとして、どんなに努力したって大谷翔平にはなれないのは明確だし、また大谷翔平しか今の大谷翔平になれないような感覚。(←伝わってます?)
私は私でしかないし、私しか私にはなれない。
つまり、今いる環境やご縁を大事にして、日々楽しく、ご縁ある方々と豊かに生きていこうと。
寺﨑道弥という役割天命を生きていこうと。
世間では「中年っていつぐらいから?」という議論がありますが、私は世間から見れば中年なのは間違いなく、人間社会における中年の役割ってあると思うんです。
それは老年期に入るまでのまだ感覚が若いうちに「資産継承」していくこと。
資産=お金? 人間の資産ってそれだけじゃないですよね。
誰しも50年生きて来たら、公私ともに培ってきた、あらゆる経験、失敗、思考、在り方、が溜まっていると思うんです。
それを必要な方や必要とされる場面で、積極的に継承していこうかと。
私と付き合いの長い方は分かると思うのですが、最近じゃ失敗の歴史ネタにして、ゲラゲラ笑ってますもん
親しい年下の大社長が「ギブアンドテイク」じゃなくて「ギブアンドギブ」っていつも言ってます。
年下から謙虚に学んで、今まで十分受け取ってきたから、私も遠くから社会に返していこうと。
そんな人生振り返ったり、定年退職する人みたいな事言っててどうすんのよ?まだまだでしょ?
なんて言われそうですけど、中年期以降は思っている以上に人生は短いと感じます。
今年もとっくに半分終わってましたし、先輩方から聞いていた通り、40代は早く感じました。
健康寿命が延びているとは言え、80歳まで健康であれば御の字。
あと10年で60歳、既にボクシングや自転車で標高差1,000mの峠越えは無理です。
100名山や離島巡り、街道歩きはまだ出来ますが、60歳を過ぎて70歳までにできることはもっと減ります。
(そもそも、人並みに平均寿命まで生きていけるのかの保証もないのですが)
そうやって考えていくと、アクティブでいられるのはせいぜいあと15年。
良くも悪くも社会の風潮に合わせて他人軸で生きていけなかったから分かる、健康でいられる人生が残り少ない感覚。
最近必ず社長連中に聞くんです。
「時間とお金があったら、何したい?」
「いつまで今の仕事する?」
「どんな時に、幸せや豊かさ感じる?」
これが人生の最大のテーマだと思っているので。
大体話逸らすか、逃げますね。
自分と対話しないで、他人軸、世間軸で生きてこられたから突っ込まれたくないのでしょう。
他の議論には積極的なのに
と、子供の頃から変に自己確立していていきづらかったワタクシらしく毒を吐いて終わります。
貴方は自分を生きていますか?
私は本来の貴方らしく生きて欲しいと願っています。
「当社が運営しています」
「しんらいライフサービススタッフブログです」
「山登り日記です YAMAP」
個人名で、Facebook Instaguramもやってますので、検索してみて下さい。