臨書の目的は、自分を書き手と同じレベルに引き上げること、字の書き方を学ぶことではなく、そこに意味があります。字の上達はついてくるもの、と師はいいました。何百年と人が人に伝えた書は、多くの人に愛された人物が書いたもの、そんな素晴らしい人物の人となりに近づきたい、それが日々書き続けるモチベーションです。

 

 

これまで書いてきて感じられる「書き手の人間像」をまとめてみようと思います。

 

 

人となりはいたってオープンで明るいが、その言行は趣きがある。駆け引きをしたり相手に詰め寄るというような緊迫した感情はなく、穏やかで平和。焦りや恐怖心もなく余計な心配事がない。どこにも苦しいところがないが、ただただ緩んでいるわけではない。自分が抜きん出ようとか上に立とうとか、他を意識しすぎることがなく親しみやすい雰囲気でありながらも、その洗練さはかなり高い。自らを大きく見せようとせず自然体。上っ面なことを言わない。その場の状況に素直ではあるが、容易くそのノリに乗じたり、ついやりすぎてしまうといった軽薄さは感じられない。気分がのってくるとスパッと自制するように働く冷静さがあり、気持ちを切り替えてすっと自分のスタンスに戻る感覚あり、慎ましさが垣間見られるが、もちろん一切萎縮はしていない。ゆったりとした器でありながら、けじめが効いていて惰性に流されない。軽やかだが軽薄ではない、浮ついていない。その加減の何気なさが上品。

 

一見すると自然体でゆったりしたイメージがわかりやすいが、書いているとそれだけでは締まりのない字になってしまう。書いてみると、きりっとメリハリのきいた感覚が要所要所に効いていることにはっとする。この両極のバランスが彼の魅力だ。ちょっとわかってきたが、これを自分の深層心理に定着させる、それが臨書の徹底。まだまだこれからです。

 

「両極のバランス」については、また改めて。

 

via 心法書道
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