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東日本大震災を受けて

まず、概況について。

茨城県神栖市在住の工藤吉訓、妻の未希、長男の栄都は無事です。
こんな状況ですが、まずは明るい話題から。栄都は今月14日で生後一ヶ月を過ぎ、順調に大きくなっています。ミルクもぐびぐび飲むし、おしっこもおならもばりばりです。うんこも臭いです。体重はも4.4kg位まで増え、体も目に見えて大きくなってきました。
泣き声も「おあぁ、おあぁ」と可愛い泣き声から「おぎゃぁぁ、おぎゃぁぁ」と泣くようになり、「赤ちゃんて本当におぎゃぁぁって泣くんだな」って関心しきりな毎日です。
3時間に一回位はミルクが欲しいと泣き叫ぶので、中々休まらないですが、忙しいほうが返って気も紛れます。
写真は順番に2.15、3.6、3.19

$どっかの誰かのブログです

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住む場所について、社宅は無事で、妻の実家も屋根の瓦が落ちた程度です。

しかし、神栖市が街としては元通りになるまで、しばらくかかりそうです。

神栖市には鹿島港という掘り込み式の港があり、そこに入ってきた津波が道行く車を押し流したり、道路の至る所が隆起、液状化現象、電柱が倒れていたり、家屋が傾いたり、沈下したり、断水状態だったり、下水管も破裂してたり、一部はガス管が死んでたり。おかげで営業している飲食店、理髪店なんか激減です。断水の対策としては、市が至る所で給水所を設置してくれています。中には一般家庭で井戸水を使用している所も協力しており、妻の実家も井戸水なので近所の人が水を汲みにきまくりです。僕達や栄都も実家でお風呂に入れてもらっています。

ガソリン不足により、2~3時間並ぶのは当たり前だったり。(これは、在庫が出回ることで改善傾向にあります)至る所で大渋滞も発生しています。

しかし、同じ市内でも場所によって被害状況はばらばらなので、家屋の崩壊により避難所や車の中で過ごしている人たちもいるようで、一概には言えませんが、生きていく分には東北に比べると全然ましかなと思います。

食料は普通にとは言えないながらも売ってます。どこぞやみたいに買い占める馬鹿もいないし、お一人様何個までとか制限もされてたりします。ガソリンも2000までとか金額制限があったりします。

会社は復旧の目処なしです。
僕は石油を原料とした化学プラントで働いてますが、地震や津波の被害をリストアップしていったらキリがないくらい、いろんな物がぶっ壊れています。でも、今ん所は直せば大丈夫なレベルだと思っています。
今回、うちの工場で火災が起きなかったことは本当に不幸中の幸いだと思います。
なんせ、危険物の保有量が多いので、本当によかったです。



さて、僕は茨城県で今回の大震災を受けて、被災者という立場ながら、東北の壊滅的なダメージに強く心を痛めました。
発生当日、大渦が発生し、4mの津波が来たことで報道されていた大洗は車で1時間位の所なので、よく行くところです。
千葉県で津波によりいくつかの集落が壊滅し、死者も出ている旭市も普通に生活圏内です。

特に被害の大きい岩手県も修学旅行だったり、家族旅行だったり、宮城県は牛タン食べに行ったり、NUFANのライヴ観に行ったり、アウトレットに買い物に行ったり。
今、テレビで報道されている現状が自分の住んでいるこの日本で起こっているなんて、今でも信じられません。

地震発生直後は停電、携帯の充電もほぼなしと情報収集手段が少なかった為、車のナビで見てました。その後は、mixiとtwitterが大活躍してくれました。

twitterでは、ダルビッシュさん@faridyuとホリエモンさん@takapon_jpが大活躍してくれました。
安否確認のリツィート連発で、安否確認がとれた方もいるみたいです。twitterは他にも大活躍で、鹿嶋市やら、NHKやら、県やら、個人のライターの方やらが情報を発信してくれています。
特にホリエモンは「ここのページ見ればわかる」とかってURLを貼りつけてくれるので、溢れかえっている情報から、必要な情報を見つけるのに重宝しています。後、いつぞやの武田邦彦先生は結構間違ったこと言ってるみたいなので、とりあえず聞く耳を持たないことです。
現状、被害のない(もしくは少ない)地域は情報収集、東北・関東なら節電、募金位しかできることはないと思う。頑張って行きましょう!
枝野さん体調が心配。

以下 参考リンク
mixi 東日本大震災コミュ http://mixi.jp/view_community.pl?id=5522501
TOPページに役立ち情報たくさん乗ってます


ホリエモンのつぶやきより
寄付 http://goo.gl/3jzPc 情報 http://bit.ly/fMse2d 人探 http://bit.ly/ebNMey 炊出 http://j.mp/hkqf4H 原発 http://ow.ly/4etBI 避難名簿 http://goo.gl/WJdrt

大前研一さんのわかりやすい原発解説(ちょい長いです)
 http://www.youtube.com/watch?v=U8VHmiM8-AQ&feature=player_embedded


東北、関東以外の皆さんへ
いつも通りの生活をすることです。
TVでもいうように、地震、津波の被害によるダメージの他に、
東北、関東以外での節約、節電は税収ダウン、結果政府の収入が減ること、つまり復興資金が減るということです。

結論言うと、「いつも通りお金を使い、少し真心を」ということです。
後、東京で買占めしてる人たち、TVやネットでさんざん「醜い」とか「馬鹿」とかそういう批判が出ていますが、自分の事しか考えてない人でも生きていけてるのは、他の多くの人がその人を思ってくれているからだって事に何故気付かないんだろうって思います。

飲みに行って、記憶無くすまで飲み続け、財布空っぽになること考えたら、1000円でも5000円でも、ちょっとでいいから。
みの○んたとか中○居とかとんね○ずとかもお願いします!
自分の誕生日プレゼント分とか月のお小遣いとか偽善でも、自己満足でも何でもいいんです!

災害発生時の注意

【昨夜寝つけなかった方へ】
寝転がりながら両手足を30°開いて、全身の力を抜いて下さい。
それから目をつぶって、ゆっくり腹式呼吸をしてください。
これを15分行うだけで身体が
2~3時間の睡眠を取ったと同じくらい休められます。


■■■地震・警報・交通情報■■■

【日本気象協会/地震情報】tenki.jp http://t.co/X2stpB6
【NHK/地震・津波情報 】 http://bit.ly/fL2n9Y (右上の"最新の地震情報に更新"でページが更新されます)
【NHK各放送局災害情報】各地域の災害情報確認のときに。
http://www3.nhk.or.jp/saigai/jishin/index.html

★★★連絡手段・消息情報★★★

【電話】日没したらひどく混乱するんで本当に電話控えて下さい。阪神大震災の時にあればと思ったようなツールがTwitter、Skype、Viber、mixiです。使える人はそちらで。電話は緊急用、救急用です。今は2次災害への対策か最も重要です

【無料公衆電話のかけ方】緑色のアナログ公衆電話は、緊急ボタンを押すか、または10円玉を入れれば、通話できます。通話が終わると、10円玉は戻ります。

【Twitter】
・NHK公式 @NHK_PR
・消防庁公式 @FDMA_JAPAN
・NHK→ @nhk_news

【災害伝言ダイヤル】http://www.ntt-west.co.jp/dengon/
(171+1+家番号 で伝言吹き込み。171+2+家番号 で伝言再生。
※あとコレクトコールが繋がる可能性があります。106か108 携帯はドコモしか使えないようです。IP電話も不可。108にダイヤルする。→相手先の電話番号を市外局番からダイヤルし、最後に#を押す。→自分の氏名を口頭で名乗る)

【NTT東日本】
http://www.ntt-east.co.jp/saigai/index.html
災害用伝言ダイヤル「171」と災害用ブロードバンド伝言板「web171」。

【 iPhone】Radio JPってアプリをとる。「ゆれくる」アプリをDL、住所を入力、通知レベルを震度4に設定。上手くいけば地震が到達する前に音付きメッセージが表示されます。

★★★避難対策★★★

【持ち物】
□現金
□身分証明書
□印鑑・預金通帳・保険証
□飲料水(1人1日3リットルが目安)
□非常食(缶詰・お菓子等)
□携帯電話と非常用充電器
□ティッシュ
□タオル(5枚くらい)
□生理用ナプキン
□懐中電灯
□カイロ
□サランラップ
□毛布
□家族の写真(はぐれた時の確認用)
□ホイッスル(生存率が格段に上がる)
□メガネ
□いつもの薬

【緊急行動パターン】
●玄関あける
●荷物は玄関へ
●水、菓子、タオルの準備
●毛布を出す
●懐中電灯
●サランラップ(止血に使える)
●靴をはく
●出来るうちに携帯充電
●ブレーカーを落とす
●ガスの元栓締め
●ろうそく・ライター等の火器は×
●電話は最低限
●ガラスや塀に注意
●とりあえず落ち着く

【建物/道路】なるべく新しい建物に非難する。ひろい道路の真ん中を歩く

【海岸・川/津波】海岸・川付近には絶対 近づかない 津波の満潮の影響

【自動車】逃げるなら車よりも自転車。もし自動車から逃げるならキー差して逃げる、消防車や救急車の妨げになる。
皆慌てているので、交通事故などの二次災害が起こる可能性がある。
緊急時なのに渋滞が発生する可能性がある。 皆が車にのって逃げ出したら、災害救助にも支障をきたします。

【エレベーター】階数ボタンを全て押して止まった階で降りて階段で非難する。地震感知器のついている場合は自動的に最寄りの階に止ってくれますが、ついていない場合はボタンを全て押す!

【赤い紙「全壊」】震災の時に、建物に赤い紙が貼られていたら、それは「全壊」の判定を受けた建物です。倒壊の危険性が高いですので、近寄らないようにしてください!

★★★食糧・飲料確保/注意★★★

【ミネラルウォーター・緑茶・水道水】
ミネラルウォーターは使い道がたくさんあるので飲み水としては買わないで下さい!緑茶も消毒として使えます!飲む為なら紅茶やジュースをお願いします! でも絶対に水道水は飲まないで!(地震の影響で水道水に赤さびが)

【タバコ】ガス管が割れている可能性があります。外でへたにタバコに火をつけると爆発する可能性があります。実際、西宮市でも地震後にタバコに火をつけて亡くなった方が何人かいました。くれぐれも外でタバコに火をつける際は細心の注意を!

★★★排泄・睡眠確保/注意★★★

【簡易トイレの作り方】便器の中にビニール袋を二重に入れ、口の部分の一部を管などに括る。ビニール袋の中に新聞紙を入れ、消毒液を入れるか、スプレーする。必要に応じて、ビニール袋を替える!水がなくても大丈夫!阪神淡路大震災の時、自衛隊員から伝授されました。

★★★電力・ガス★★★

【充電】ビックカメラが充電器を無料開放。

【節電】地震に伴い、設備が大きな被害を受け、今後の電気の供給力が不足する可能性あるため「節電」が必要。また、切れた電線などには絶対に触らないこと。
【ブレーカー】地震で停電している地域の方はブレーカーを全て落としてください。通電されたら小さなブレーカーを1つづつ入れてください。漏電ブレーカーが落ちるようでしたら、無理に入れず、電気事業者などに連絡をとってください。漏電による火災を防ぎましょう

【ガスが止まってしまった方へ】東京ガスは震度4で自動停止機能が働く。復帰は簡単。メーターの左上にある黒いキャップを外して中のボタンを奥まで押しこむ。メーター上部の赤ランプが3分点滅するので、その後復活。ただし、ガス器機はすべて切ったことを確認してから。

■■■■医師による人命救助・応急処置の方法■■■■

→【mixiしてなくても携帯で見れるページ】http://amba.to/dVsCM5

【溺水者の救助】�呼吸の有無を確認する。呼吸があろうとなかろうと、無理に腹を押すなどして水を吐かせようとしない。�呼吸がある場合:顔を横向けにする(水を吐いて窒息することがあるため)。 �呼吸が無い場合→心肺蘇生法へ <全ての場合で、身体を大きな布などで覆い、保温する。

【クラッシュシンドローム】体の一部を長時間強く挟まれた状態の被災者の方は、無闇に救助したりせずに救急車を呼んで下さい。クラッシュシンドロームに陥り、最悪の場合死に至る恐れがあります。逆に挟まれてすぐなら躊躇なく助けてください。


【要救助者信号】家具に埋もれて動けなくなったら机の脚でも何でもいい、とにかく叩けるものを叩いて音を出せ。“2・5・2”のリズムは「要救助者あり」の信号。消防職員が必ず救助する。

★★★女性へ★★★

【性犯罪対策】災害時に、「お風呂を貸す」「トイレを貸す」そういった言葉で女性を騙し、レイプする犯罪が過去発生しています。避難や徒歩での移動など、出来る限り独りにならないで、どうか、どうか気をつけてください。 ■災害時の性犯罪は多い■です。
万が一襲われた場合、身体の硬い所(ひじ、ひざ、頭、かかと、歯)を使い、相手の弱い所(鼻、目、耳、唇、舌、股間、指など)を攻撃(噛む、殴る、蹴り上げる)して下さい。この時は拳より平手で。遠慮なく一発食らわせたら、即!全力で逃げて下さい。

【ストッキング】避難時はストッキングを脱いで下さい。物に引っかける恐れがあり、また火災発生時、火に近づくと溶けて肌に張り付き重度の火傷になるようです。そしてそのストッキングは止血帯としても役立つので絶対に持っていてください!

【生理用ナプキン】女性の方は生理用ナプキンを大量に用意して下さい。自分用にもそうですが、怪我により出血されている方には生理用品が役に立ちます。女性にしか出来ないことです。大量に持って行って下さい。

めでたいご報告

【注意】このブログは東日本大震災発生前に書いた記事を転載しています。


先日少し呟いていたので、既にご存じの方やお祝いの言葉、メールをくれた人もいますが、改めて報告します。

2011年2月14日17時30分、バレンタインデイに元気な男の子を授かることができました。

当日は立ち会い出産だったのですが、生まれた瞬間は元気な産声を聞いて涙が止まりませんでした。我が子を初めて抱いたとき、助産師さんの前とか関係なしに号泣してしまいました。

母親に電話で報告してても泣きました。
出産後、妻と再会して、顔を見合わせながらまた泣きました。


正直、生まれる前から感極まって、陣痛中もずっと泣きそうでした。山王戦のゴリと同じです。

早いもので明日で生まれて5日目、お家に帰る日です。
生まれたての赤ちゃんは2,3時間に一回泣くらしいので、寝れなくなるのが不安。だけど、子供が可愛いのでいつも全力投球で妻と一緒に頑張りたいと思います!
見にきたい人は遊びに来てください!写真が見たいという人は頼まれなくても勝手にたまにアップします(笑)

ちなみに名前は、生まれて二週間以内に出生届ってのを出さなきゃいけないので、それを出したらmixi でも公表します!

俺の子供だけあって、既に「間の悪さ」をしっかり受け継いじゃってます(笑)詳細はまた次会で。

とりあえず、写真アップしときます!



皆さん、うちの子をよろしく!

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漱石の「こころ」を初めて読んで

夏目漱石のこころを読んだ。
非常に思う所、学ぶところの多い読み物だった。漱石が自分の作品の中で、自分自身の表現をしていたとしたら、漱石と自分に重ねてしまう所が多い。人間臭さ、人間の姿に非常に共感できる。国語の授業で取り上げられるような、比喩が数多。日本文学に片足を踏み入れただけの自分が言うのもおこがましいが、美しい。
ただ、正直な話、「日本文学」というものに慣れていない自分には、決して読みやすくはなかった。もうひとつ。この手の読み物は言葉に馴染みがない分、速読や視読などではなく、黙読すべきと思った。心の中でしっかり声を出して読むことで、理解度と理解速度が格段に上がった感じ。

内容に少し触れると、精神的にタフなイメージが強かった明治の人たちにも、現代でいう欝が存在していたことに不思議な感じがした。明治天皇が亡くなったことを崩御といい、35年もの間、死にたいと思い悩みながら生きていた野田将軍の自殺。それを聞き、我も言う人が何人もいたのだろうかと思うと、どんな愛国心だよと、とにかくびびった。
そして、今の日本はどうだろうと考えると、悲しくなった。まじとか、びびった、うざいとか、現代語にはセンスを感じるけど、代わりに品性が失われたんだな。

「こころ」の中に登場する、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」という言葉がある。こころを読んだ記憶はないのに、この言葉だけは知っていた。久しぶりに再会したこの言葉、世の中の人が聞いたら、自戒よりも、怒りだしそうな気がするなぁ。

もう何度か読んでみよう。

自分history

【どんな人間か】
・1986年White Day北海道八雲町(函館より国道5号線沿北に約80km)に生まれる
・八雲幼稚園入園
この頃の記憶はほとんどないですが、
①泣き虫だった
②男は緑のケロッピー、女はピンクのケロッピー、俺だけピンク
男は熊のメモ帳、女はうさぎのメモ帳、俺だけうさぎ。早いもん勝ちだったのかどうかは覚えていないが、「譲る」ということを既に学んでいた?気弱だっただけかwww

・1992年4月八雲小学校入学
泣き虫治らず。やんちゃMAX。問題児の部類に入っていたと思う。
双子の友達と喧嘩して、弟の頭を三十センチ定規で叩いて泣かしたら、兄が激怒して、泣いた俺は房総し、机を持ち上げた。間違いなく問題児だな。crazy

授業中は一生懸命。手あげまくるのはいいが、お喋りもたくさんしていた。
おしゃべり中、不意を付かれて当てられても答えれたので、聖徳太子が何故か近く感じました。てか、担任三人とも、ほぼ毎日怒鳴られてた気がしますwwcrazyだな;;;みんなごめん!

此頃の思い出深いエピソードは、
☆小学校一年生のとき、母親に連れて行ってもらっていた喫茶店「メルヘン」にてジャンプと出会う。それ以来、ドラゴンボールの為に、毎週買ってもらいました。いつからかドラゴンボール以外も読むようになって、いつしか無類の漫画好きに。

①小学校1年生のとき、町内駅伝大会に参加申し込みしたが、クラスで俺だけ呼ばれなかった(幼稚園時代に続き、よほど影が薄かった?)
②小1、小2は学校行く途中毎日ランドセル後ろから蹴られてたなぁ。
何かの倶楽部活動で、小学校6年生とかたくさんいる前で、「あいつはいじめっ子」とか大暴露した記憶がある。
③悪いことして、怒られたりもしたなぁ(内緒)キーワードは「バンバン」、「スズキ」

④かなりキャシャリンだったが、骨折しなかったこと
⑤この時大好きだった漫画はドラゴンボール、スラムダンク、すごいよマサルさん、みどりのマキバオー、モンモンモン、レッツ&ゴー!、幽遊白書、とってもラッキーマン など
⑥いなくなってから気づいた幼なじみへの恋心。その幼なじみとの文通の中で、
「元気?今度のバレンタインデーでは誰々君と何々君にチョコレートをあげます。そうです。〇〇は誰々君と何々君が好きなのです!」その後、自然に文通は終わった(笑)。
スーパーサイヤ人3の絵まで描いた努力は報われなかったwww

⑦ハイパーヨーヨーにはまったこと
⑧ミニ四駆、ビーダマン、ガンプラにはまった
⑨スパロボに出会った(初スパロボはスーファミの第四次)
⑩小三でサッカー少年団に入ったが、階段から落ち、足首捻挫でしばらく休み、元々うまくなかったし、行きづらくなり退団(勿体無いことをした)
⑪ランドセルを忘れた回数が2回位?うち一回はそろばん塾に忘れてきた。
⑫学校でもらったプリントは、教室の机の中orランドセルの中に寿司詰め状態。此頃から片付けれれない片鱗。
⑬今だから言うが、部屋のプラスチックの中に、タンを吐く癖があった。あれは臭かったww
⑭豆電球で毎日漫画読みまくってたけど、視力は2.0だった
⑮小5、小6の担任は熱い先生だった。
禿げてる先生の授業のことを、「眩しくて集中できない」と言ったら別室に呼び出され、
心臓に手を当てながら、「お前の心はどこまで腐ってるんだ(゚д)」!!

さとう(砂糖)を漢字で書きなさいを佐藤と書いたら笑っていたのに、
他の漢字がわからなくて当て字で書いたら超怒られた。(本当にわからなかったのに!とにかく空欄をつくるのが嫌だった)

⑯小学校6年生の時に、修学旅行中に3回も怒られたこと。(ホテルの窓からバルコニーに出て、他の部屋に侵入。夜中に部屋抜け出し。買い物禁止の札幌テレビ塔でキーホルダーを買ったこと。サッポロファクトリーでみんなが美味しく昼食を取っている横で、
「俺はお前達のことが大好きだ。その心をおまえは3回も裏切ったんだ!信じてるんだ、頼むから裏切らないでくれ!( ゚д゚ )」
卒業式には、一緒に写真をとった記憶があるが、まだ家にあるのかな。
⑰RPGのセーブデータを弟に消されて激怒。それを母親が激怒し、ソフトを叩き割られること3回位?(ナイトガンダム物語、武闘伝2、後にはセガサターンのX-MEN)
⑱実家にあった釣りキチ三平を読みまくる。全65巻+番外編1巻、このころは巻数と中身がほぼ一致していた。特に好きだったのがキャスティング大会、釧路湿原のイトウ釣り、カナダのキングサーモン、デカバルト、ハワイのデビルソード、56巻のマタギ(熊撃ち)、57巻のドン突き などなど
ちなみにドン突きとは田んぼが多くて、大雪が降る東北ならではの猟法。田んぼの水源である用水路に魚を集めておいて、雪が降ったら、その用水路に雪をぶち込んで、完全に蓋をする。その雪の重みでギューギューに押し込まれた水は、蓋に穴をあけることで噴水のごとく、魚と一緒に噴き出る。この雪に穴を開ける際に、機の杭を「ドン」と突くから「ドン突き」というらしい。ちなみにWikipediaには載ってませんでした。
⑲つの丸先生の悪影響で、やたらハゲに敏感だったcrazy
⑳声だけは大きかったので、悪いことをやったらすぐバレてた。嘘が下手くそですぐにバレてた。


・1998年4月八雲中学校入学
中学校1年生まで問題児列伝は続く。ぎゅうたんゲーム中、ハメられたことにキレて、机を投げる。crazy あの時はごめんよ。。
しかし、剣道やある漫画との出会いが劇的に俺を変えてくれたのもこの時期。

このころ印象深いエピソード
①大好きだった漫画は世紀末リーダー伝たけし、ONE PIECE、ラブひな、HUNTER×HUNTER
特に「たけし」にはものすごい影響を受けた。というより、人間変えられた。
それまで、問題児レベル32位(犯罪性は低く、迷惑性が高い)だったが、中学卒業時には「いつも明るい君に元気を分けてもらっていた」「真面目」「君から努力の大切さを学んだ」「大物になる!」と先生達に言わしめるまでになった。ちなみにクラス優しい人部門、女子も含めて第2位!(しかも、クラス一番の親友は俺に投票してなかったのに!」
机を投げたり、給食食べた昼休みに床に寝っ転がったり、窓際の観察台をベッド代わりに寝ていた俺が。中一の数学の先生の授業中、ひたすら先生のモノマネをしまくり、
S先生「あい、話やめ~」   俺「あい、話やめ~」
S先生「おまえら、うるさい! 俺「お前らうるさい!」
S先生「おまえもうるさい(俺に)」 とかやってたり、

技術の時間に、生徒7人位前に出て、「先生、教科書忘れました」と言いに行く中、
「先生、忘れ物をするのを忘れました」とわざわざ言いに行って、怒られた上、弟にも同じことをさせ、「お前の兄貴も同じことをしていた」と言わしめたほどの俺がだ。結果、反抗期らしい反抗期はほとんどなく、親に乱暴な口を聞いた回数は10回以下だと思う。

それまで、読んできた中で好きな漫画は、バトル漫画だったり、ギャグ漫画だったり、ちょっとエロイ漫画だったり、言ってみれば「おもしろい漫画」ばかりだった。
こうして、人に対する行動とか考え方を考えてこなかった俺は、たけしにガツンとやられた。

小学1年生にして青ひげジョリジョリ、胸毛ボーボー、脇毛ジャングル、たーちゃんばりに筋肉モリモリ、人の名前を間違える、超ど天然の有り得ない小学生???ながら、この世の中で優しく生きていくことの大切さ、大変さを強烈に訴えかけている漫画。
生まれつきの体質でいじめを受けている子供のトマト嫌いを治すために、「トマトも生まれつきその味なんだよ」と言うシーンにガツンとやられた。心に訴えかける、腹を抱えて笑わせる斬新なギャグ、ドラゴンボールや旬のHUNTER×HUNTERまで堂々とパクる潔さからなる王道バトル、下手ながら一生懸命さがめっちゃにじみ出てる絵、自分の漫画に何回も登場してくる作者、例えあんなことがあっても、俺の中でしまぶ~は永遠のヒーロー。いつか、この気持をしまぶ~に伝えたい。

それ以来、「優しく生きる」ことについて考えるようになった。完全に今の自分のベースになった漫画。


②剣道に出会う。中学入学前に友達3人で「パソコン部作ろう!」と言ってたが、あっさり撤回。背の高い友達は剣道に見学に来ただけで、「もう竹刀買っといたから!」と半ば強引に入らせた。そいつがもう一人引っ張ってきた。パソコン部作ろうとしてたやつは、「昔から剣に対する憧れがあった」とか急に言い出し、入団(こいつは親の説得にかなり苦労した末の入団)俺経由とは関係なしに他に二人入り、八雲にしては珍しく一学年で6人が入部!町営体育館を使ってたから週2しか出来なかったけど、警察とか自衛隊とかもっと貪欲にやっとけばよかった。その頃は剣道より、剣道部の友達と遊ぶ方が楽しかったんだよなぁ。独裁者的な先生がいて、理不尽な権力者に従う術を学んだ気がする。こいつのせいでたくさん辞めてった、最低の大人であり、最高の反面教師だった。
俺は13歳で剣道始めたけど、何故か23歳で始めた社会人がいた。空気中のアルゴン濃度並に貴重で、超ど天然の彼は10個上だけど、今もソウルメイト。

・剣道では練習の前に正座をして黙想(目をつぶって、集中する)をするのが決まりなんだが、槍の如く竹刀を投げられたやつがいた。
・練習中、
先生「何々、切り返し(練習の種類のひとつ)のポイントは何だ?言ってみろ!」
J「そうです!!!!」
先生「そ~です~~?お前話し聞いてなかったのか!!」と頭を竹刀で叩かれてるのを見て、笑い死にそうになったが、バレないように必死だったことが印象深い。
隣町の中学校が強すぎて、全然勝てなかったなぁ。俺らが卒業した後の話だけど、その中学校全道優勝とかしてたし。女子は個人で全国3位?すごいわ森中。

③勉強について
中1では数学の先生を馬鹿にしまくって、5段階中2を付けられたり、社会科の先生が大嫌いだった記憶がある。テスト当日に、テストがあることを知るような感じだった。

でも、中2、中3は本当先生に恵まれたと思う。小学校からやってた進研ゼミを要約真面目にやり出したのもこの時期。テスト勉強に進研ゼミの勉強道具を使うと、飛躍的に点数と順位が上がった。勉強の合間の散歩と、散歩から帰ってきた後に食べるてんかま(天ぷらかまぼこ)がうまかったなぁ。しかし、昔からのおっちょこちょい癖がぬけず、テストではポカミスが多かった。99点を取って悔しがっている友達を、心からすげぇ!と思った。
進研ゼミの実力テストで、成績にオススメ学校に、函館高専があったので、ここで初めて高専を知る。割と一生懸命勉強するようになり、高専の推薦を貰えそうになるが、担任が推薦基準を知らなくて、「無理だよ?無理無理!」と言われ、傷心の中、英語教師に、
「誰の評点下げるか迷ってたけど、あんた下げるわ!いやぁ、こんなはっきり言ったの初めてだわぁ。すごいすっきりした^^!!」と言われ、さらに落ち込んだ。相対評価だった当時、5段階で5を付けれる人数が決まっている為、授業態度は前項目◎だけど、点数が3点ばかし低いからあんたを下げる!と笑いながら引導を渡された俺は傷心のどん底で、泣いた。その話を聞いた、進路指導の先生がうちまで来てくれた。当時は推薦の為に、数字を分配するのは当たり前のようにやっていたのかどうかはわからないが、「お前にその意思があるなら、推薦受けれると言われた」。本気で追い詰められていた俺は、泣きながら、「すがりつきたい」と言い、結局推薦を受けさせてもらえた。今だったら、「そこまでして?」って思うけど、当時の精神状態では意地を張る余裕など全くなく、嘘偽りない声がそれだった。しかも、推薦の為に、お前の数字をあげるわけじゃない!と言ってくれたO友先生、この御恩は一生忘れません!

しかし、一般入試で高専を受ける決意を固めていた俺は、中3の12月から八雲進学館という塾に通い始めた。この塾との出会いと、その後の3ヶ月が強烈に俺を変えた。

④八雲進学館と先生との出会い
その塾は先生がヤクザ紛いであることで有名だった。
常に竹のぼっこを片手にもち、黒板を指す時、答えを間違ったやつを叩くときなど、活躍し過ぎて、割れが生じ、真っ直ぐだった棒が「ト」見たいな形にしなっていた。
生徒を名前で呼ぶ先生は挨拶に厳しく、「こんちわ~っす!」と入ったら、
「なんやその挨拶、やり直し!」と一回追い出され、「こんちは~」「はい、こんちは~」とまるで今度。朝でも夜でもこんちは。こんにちはではなく、こんちは。

塾の目の前に踏切があり、その踏切のせいで3分遅刻したら、中3の12月にしてゲンコツを食らった。先生の独特すぎる話し方がツボにはまり、授業中いつも笑いを我慢してた。
その我慢が限界を達した英語の授業中、
先生「これ読んでみ」
俺「はい、I like ,I,I,I wwwwwwククククク」
先生「何がおかしいねや!アイアイ、って昔誰か愛してたのか?」で、爆笑。授業を中断させた。その他にも巧妙に口元を隠していたつもりだったが、バレてたらしいwww

肝心の勉強の方は効果絶大だった。
まず、参考書を買わされ、テストに沿った宿題が出ると、その答えを書くだけではなく、文献(参考書)から関連する項目まで書き出しをさせられた。数学の答えも、箇条書きではなく、文章で書くことを教わった。英語はガチガチの受験英語だったので、今となっては役に立ってないが、当時は点数がポンと上がった。たった、1、2ヶ月の塾通いで簡単に点数が上がった俺は、勉強の仕方がいかになっていなかったかが身に染みた。
図書館で友達と朝から暗くなるまで勉強するのが楽しかった。勉強に関してベースをつくってくれた先生。
進学先が決まった後も、「進学先での準備の為に来い」と言い、月謝は取らなかった先生(たしか)。中学校を卒業してからも、夏休みとかはタダで塾通いさせてくれたS藤先生。この御恩は一生忘れません。

⑤応援団長
委員会活動とか結構好きだった俺は、生徒会とかはやらなかったけど、応援団に入っていた。応援団と言えば、とっても硬派なイメージだけど、八雲中学校の応援団は、運動会とか壮行式とか、そういうイベント前にちょっと練習して、体育館でやる感じ。何かの部活の試合に応援しに行ったことは一回もない。
その応援団は「硬派」というイメージの他に、寸劇をやって笑いをとることもしていた。こっちのほうに目を付けた俺は、2年生のときに寸劇のプロデューサーデビューをし、3年生の時には、応援団長に抜擢(正しくは、立候補。しかも一人)された。

応援団長となった俺は、寸劇以外、何か白けている現状を何とかしたいと考え、年間活動テーマを「革命」とし、先生の許可のもと、様々な伝統をぶち壊した。
中でも、革命の目玉だったのは「気合象徴」だ。
団長が演目を叫び、「ドンドン」と太鼓を二発叩いた後、団員が反り返り、「オース!」というのが習わし。
「気合象徴」とは当時人気だったエヴァンゲリオンを見て、思いついた。初号機が暴走した時のあの叫び声だ。
まず、名一杯屈伸する。手はオペ前の医師の様に指を立て、膝の横。「うぉぉぉぉぉ!」と叫びながら、立ち上がり、最終的には天を仰ぐ。「世界は俺の物だ~」のあの感じで。
これが大ヒット。様々なコラボが実現した。
「うぉぉぉぉ、レッドスネークカモーン!!」で先生達の爆笑を誘い、吹奏楽部の女の子からファンレターまでもらった。(マジ)
卒業後、OBとして遊びに行ったら、「団長さん、サイン下さい!」と女の子二人のサインまで求められた(マジで)。
「東内浦、にしゆ~らっぷーーーーーーーーーーー」(いつまで続くねん!)で笑いも取れた。

応援団は剣道と共に、声がでかかったのが初めて役に立った場だった。声が大きいのはいいことなんだ、と思え、本当に嬉しかった。
本来、高校とか大学とか応援団に笑いは必要ないのかもしれないけど、少なくとも中学校においては、ただのお決まりみたいなもんじゃなく、少しでも役に立てたらいいなと思って、いろんなものを変えたみた。あの発想を今でも活かせていれば、多分もっとビックになれてたかな。ないかwww ちなみに俺が卒業した後は徐々に衰退していったそうな。時代的に「硬派」はが廃れてきたのもあるが、寂しさも感じる。


・2001年4月函館工業高等専門学校(函館高専)入学
もっとも、思い出がつまっており、最も密度が濃く、全盛期だったとき、それが高専時代。

実家を離れて函館に進学する俺は、寮に入ることになっていた。友達が一人見送りに来てくれて、希望と不安を旨に出発した20分後、教科書一式を忘れたことに気付き、実家に戻る。この寮がまた強烈だった。入寮前に配れたパンフレットには、目を疑うようなことが盛りだくさんだった。廊下の天井が低く、スキップしててぶつかって、鼻の骨を折った人がいるから気をつけて、とか。挨拶はしっかりしましょう!と書いてあったので、いいところだ!と思ってた。寮の昔話は最重要機密事項なのでここでは書けません。ですが、一つ屋根の下、同じ釜の飯を食い、ともに耐え、ともに笑い、ともに学べた5年間は一生の思い出。世間では「変わり者」と言われる個性豊かな人が集まる高専はとても過ごしやすかった。
勉強に関しては、もっと一生懸命やっとけばよかったという後悔しか残っていない。
八雲進学館で学んだ3ヶ月で文献を調べるということを覚えた俺は、「ポイント」を抑えるということに長けていた。言って見ればヤマを張るわけだが、俺の場合、テストに出そうと思ったところは全部書きだした。
授業中は必死にノートをとり、カラーペンを使い、強弱を付けた。眠い授業は寝ていたが、板書のときはすっと起きて、がっちり取っていた。重要な事を言う時も何故か目が覚めた。
テスト前には先生の研究室に通いつめて、わからない所を聞いたりした。

こうして、テスト三日前までに「これを覚えれば大丈夫!」的なものをコピー用紙1~2枚にまとめた。これを各教科ごとに作り、後はテスト前日にそれを覚えるだけ。
教科書を眺めているだけでは覚えられないけど、自分で作った教材、しかも紙っぺら1枚だったからすごく覚えやすかった。言ってみれば、そのテスト専用暗記グッズを作成したわけだが、これが聞いた。卒業式で表彰される位点数はよかった。この暗記グッズを上げたやつが100点とったり、ビリ近くだったやつが一気に8位に踊り出たりは、本当嬉しかった。

しかし、所詮は学ぶための勉強ではなく、点数を取るための勉強。今、財産としては全くといっていいほど残っていない。その時、つくっていた資料が残っていたから、後でアップしたいと思う。

本当ならば、
1.テスト前にポイント集を作る(授業中、先生が言ったところをメモる。過去テストを見る。ずばり先生に「どこを勉強すればいいか」聞きに行く。)
2.テストが終わった後、間違った所を見返す。
3.テスト終了、1週間後、再度暗記する
4.学年末に再度覚える

これぐらいしないと、人間の頭には定着しない。記憶というものは時間がたつほど曖昧になっていくものだ。化学工学で毎回100点を取っていても、化学系の会社に就職した今、全くといっていいほどその知識を活かせていない。大事なのは知っていることではなく、その知識を使えること。つまり、「知っている」のもう一段階上の理解でなくてはならず、
テストで高得点は、むしろ反省する機会を失い、マイナス効果になる可能性もあるということを当時の自分に教えてあげたい。
しかし、「俺」とかいう根拠のない自信を持っていた当時の俺は、そんなことこれっぽっちも考えたことがなかった。決して強くはなかったけど、剣道部が楽しかったし、寮の仲間と遊ぶことに夢中だったし、函館のラーメン屋巡りしてたし、散歩もしまくってた。

勉強はしておいたほうがよかったと思うけど、その時しかできないことは十分に楽しめたと思う。テストの点数と、仕事ができるかどうかは、あまり関係ない。問題はやるか、やらないか。いろんなことに問題意識を持つようになったのもこの時期だろうか。


3年生の夏休みには友達と二人で、「2泊5日のドンコ列車の旅」
5日の内、一泊目こそ青森の友達の家に泊めてもらい、2日目と4日目は夜行列車で車中泊。3日目は温泉ランドの仮眠室。超強行日程だったけど、
青森、弘前、秋田、山形、仙台、郡山、宇都宮、上野、といろんな所(駅前だけ)に行けた。

5年生の時は、同じ友達と一泊二日北海道一周の旅で、特急列車乗りっぱなしで、
札幌、旭川、稚内、北見、網走、釧路といろんな所(駅のみ)に行けた。

こんな経験、老後まで出来ないと思う。最高の思い出だ。


最終学年5年生では忘れられない恋をした。すごい素敵な恋だった。カミさんのことが大好きなので、昔の恋はあまり語りたくないが、初めて俺を心から理解してくれた女性。一緒にいる間は毎日会って、喧嘩もして、理解し合えていたと思うけど、卒業と共に離れ離れになり、突然の終わり。年間5回帰省したりとか、かなり飛行機代かかったなぁ(笑)
でも、心の底から人を好きになって、最後はどうにもならなくなって、二人とも泣きながらお別れ。二人の指輪を川に投げ入れ、電車の時間が二人の時間を分かつまでは共に過ごす。この短いひとときは、お互いが愛し合っていた時間を色濃く思い出し、本当に幸せだった。本当に素敵な恋でした。

こっからは裏話。ここまでの綺麗な思い出話を一気にぶち壊しにしてしまうかも。
・電話で別れを告げられて依頼、飯が食えなくなり、62kgから56kgまで落ちた。
・相手より、相手のお母さんが飯を食えなくなったらしい。ちなみにこのお母さん、お父さんとともに非常に可愛がってくれ、いろんな物や言葉をもらった。バーバリーの靴下やらパンツ、やたら高い健康食品や、シャンプーなど。後に俺の結婚を知った時も、電話してきてくれたほど。

・会社で号泣しながら、でかくて固いバルブを閉めている所を見られた。
・毎日、出退勤の車の中で泣き叫んでいた。中央分離帯を見ると、突っ込みたい衝動に駆られた。
・高いところが怖くなくなった。(50m位の建物から下を見ると、何故か落ち着いた)
・タバコを吸うようになった。夕日を見ながらタバコを吸い、黄昏れてた。
・スナックに一人で行った(一回だけ)これ以来、スナックとか魅力を感じなくなる。
・やっぱり忘れられず、ギター片手に、再アタック。練習して言った「名もなき詩」弾けずえず!
・同時期位に失恋した人から聞いたミスチルの「しるし」、「Over」でまた泣く。
Tomorrow never knows に元気をもらって生きる毎日。「終わりなき旅」で奮い立った。
・結局、2年位引きずり、何度か会ったりした。(東京でも一回)
要約「思い出」と思えるようになってきた頃に、カミさんと出会う。

こうして振り返れば、20歳までに本当いろんなことがあったんだなぁ。友達とさい条のラーメン食べに行ったり、1km以上歩いてまで百均に買出しに行ったり、カラオケしたり、酒飲んだり(高専は5年間なので、20歳まで学校にいるんです)。
みんなに改めて言いたい、本当ありがとう。

・2006年4月茨城県の三菱化学入社
正直、まだまだ密度は薄い。仕事がほとんどの時間使っちゃうし。
でも、いろんな所に行ったかな。まず、大人買いで漫画を買いまくった(最高時、2600冊位?まで増えた)。CDを買いまくった。(300枚位行ったところで、最近は停滞気味)いろんなバンドのLIVEを観に行った。洋バンド、邦バンド両方。神栖からバスで東京まで1時間30分は本当遠い・・・友達に会いに、いろんな所に行った。

カミさんと付き合い始めて、いろんな所に旅行に行った。アウトレットモール巡り、イオンモール巡りにハマった。(ほとんど見るだけで、めったに買ったりはしない。)

・2010年7月入籍
沖縄の新婚旅行は最高だった。地球の美しさを垣間見れた。

大人になってからの思い出は本当書ききれない。これからも、たくさんの思い出をここに追記していけたらいいな。(特に家庭関係!)

つづく

改めて、自分の人生を書きだすということは、自分を見つめ直すいい機会になったかも。
悩んだ時に、いろんな人が薦める方法だし。ただ、パソコンの見過ぎで疲れた目で、これから車の運転をしなければならないのはちょっと不安・・・
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