感性をもっと信じたらいい。 | あき&みっちゃんの好きなことを好きなように好きなだけ

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さて、スサ様に
「好きにする」
について聞いてます。

 

前回までのお話しこちら

 

伝えたい事は別にないな。

選択と行動、そして結果に責任を持つ。

トライ&エラーを繰り返した先に見えるもの。

何が好きな自分でいたい?

 

 

今日は、
前回で例えば、
「まわりの顔色見てそちらを選ぶんなら今の自分はそれが大切=好き」
「でも、それが違うと思うなら別の選択を」

なら、例えば本当の好きとでもいうか、
それに気づくにはどうしたらいいのかを聞いてみます。

 

※・・・※・・・※・・・※・・・※

 

「本物」

「偽物」
もあると言えばあるだろうし、
ないと言えばないだろう。

どこにその基準というか線引きが出来るんだって話だ。

 

例えばお前が例に出した
マゾキストの傷、
「親に愛されすぎると親の顔色を見てしまい自分の基準をなくす」
についても、出発点はどこかと言えば
「親に好かれたい」
「親が好き」

と、言うところにあるだろう?


それだって立派な基準だ。

だがそれだけを基準にしてきて、
生きづらさを感じたなら、
それは違ったという事だろう。

 

 

だが、ここで
「親が好き」
という基準を手放す必要はない。

「親は好き」
だが
「人生は自分のものだ」
と気づく事だ。

 


なら、どのように接していけばいいか考える事が出来るだろう?
これは親だけではなく、
そこで癖づいてしまって影響を及ぼしている他者との関係性においてもな。

 

 

亜紀からもっとわかりやすくと言われたので、
「本物」
「偽物」

の定義は出来ないが、
「好き」
について、いくつか例を挙げてみよう。

 


これも一つの例だ。
思い起こしてみるといい。

 

・知っている事だがさらに知りたい。自分の好奇心を刺激する事。
・義務感や責任感ではなく、自発的に行動に移す。
・意識せずになぜか自然に覚えてしまっている。
・人に話したくなる。
・その話題で人と盛り上がれる。
・楽しい。


まあ、こんなところだがまだまだあるだろう。

大切にしたいとかもあるだろうしな。

あんまり難しく考えるよりは、
感性をもっと信じたらいいと思うんだがな。

自分が開いていくような、
湧き上がってくるような快感というか、
思い入れとか、愛情とか。
嫌いな事や嫌いや奴には絶対したくない事とかな(笑)


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感性を信じる。
「好き」
って言うのはその領域。

 

私が好きでも別の人はそうでも。
その逆とかもありますしね。

 

きっと例に挙げてくださった事の反応を、
自分の好きな事には凄くするけど、

その事について周りとか世間とかそうでもない。
とかなると
「え? 私大丈夫?」
とかなってしまうんやろね。


そこで制限かけてしまう。

感性をもっと信じる。
それこそ自分だけの基準だから。