アル=アクサー・モスク事件で気づいたこと #ヨルダン #Jordan | 世界をみつめて

世界をみつめて

主に中東を中心に書いています。
今の中東は大変混乱している状態です。
中東に早く本当の平和と自由が訪れることを願ってーーー。

私の方で、「ヨルダン」の歴史や
イスラエルとの関係などの
認識がほぼ無知に近い状態であったため、恥ずかしながら
アル=アクサー・モスク事件のニュースの折り
個人で勉強して、野口先生に
色々とご教授して頂きました。
ヨルダンが実に複雑な立場にある国ということを
改めて認識させられました。。。。

私のように、ヨルダンとイスラエルの関係について
知らない人は多いと思います。
これも、「中東情勢」を知るためには必要かと
思い、私なりにまとめてみました。

ヨルダンは、アラブの中では珍しく、現実主義の国で、
中東戦争の始めから、表ではアラブの一員として
イスラエル非難をしても、裏ではちゃんと手を結んでいました。
ヨルダンは、意外にも、イスラエルと協力関係にあります。
両国が緊迫した状況が過去に何度もあったみたいですが、
イスラエル・ヨルダン平和条約なるものが、
1994年10月に調印されています。
アラブでイスラエルと平和条約を結んだのは、
エジプトに次いで2番目です。

そして、ナーセル元エジプト大統領と
フセイン1世がヨルダン首相暗殺を
めぐって対立していたことで、
更に緊迫した関係が続きました。
そして、最後にはエヨルダンは
アラブ社会からも追放されてしまいました。

事の始まりは、1970年に
ヨルダン・ハシミテ王国において発生した、
ヨルダン政府とパレスチナ解放機構(PLO)との内戦
これが世に言うヨルダン内戦です。
ヨルダンは初めはイスラエルを打倒すべく
PLOをヨルダンに本拠地を置くことを容認していましたが
PLOの活動がヨルダン国内において活発になり
イスラエル側の攻撃も増え、
ヨルダン国王はこのままでは
自国がダメになると判断し、
何度もPLOに警告をだしましたが
彼らはその要求を拒否しました。
これに、怒ったヨルダン国王は
PLOを滅ぼす手段に出るのです。
そのため、PLO支援に積極的だったシリアは
陸軍をヨルダンに侵入させ、PLOに加勢した。
ヨルダンとシリアの戦争に
発展してしまう可能性があったため
アメリカは空母部隊を地中海のイスラエル沖に派遣し、
ヨルダンの行動を支持すると共に、
軍事介入したシリアに対する牽制とした。
そして、イスラエルは陸軍部隊を
ゴラン高原に展開し、シリア軍に対して警告をした。
当初はこのヨルダンの混乱に
乗じてイスラエルが軍事作戦を
展開すると見られていたのですが、
どうやらヨルダン政府側の願いであったもよう。
結局、エジプトのナーセル大統領が
ヨルダン・シリア・PLOの仲介に入り、
PLOは受け入れを表明したレバノンへ
本部を移転するハメに。
ヨルダン政府軍、PLOとシリア軍は停戦した。
この結果、PLOは指導部と主力部隊をレバノンに移した。

ヨルダンはPLOを国内から追放できたことによって
国内の安定を取り戻したが、アラブ連盟の総意で
設立されたPLOを攻撃したことで、
連盟各国から強い非難を浴び、
アラブ社会から追放されてしまいました。

PLOは、ヨルダンに復讐するため
1971年11月28日 カイロを訪れていた
ヨルダン首相ワシフィ・アル・タルを暗殺。
これにより、エジプトとヨルダンの関係も悪化。

エジプトのイスラエルとの和平までは、
中東は親米の王制国家
(イラン、サウジ、ヨルダン、湾岸、モロッコ)
対親ソでアラブ民族主義の
エジプト、シリア、イラク、アルジェリア、リビアが
対立する世界でした。
中東紛争(アラブ・イスラエル紛争)に
大きく影響しているのがヨルダンです。