ぼく鉄2024・福井旅⑩福井城址 | 三道併進

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福井城址に整備されている中央公園にきました。

 

 

 

公園には岡倉天心の銅像がありました。

 

岡倉天心(1863-1913)は、急激な西洋化の荒波が押し寄せた明治という時代の中で、日本の伝統美術の優れた価値を認め美術行政家、美術運動家として近代日本美術の発展に大きな功績を残しました。

 

 

 

御廊下橋です。

 

御廊下橋は、歴代の福井藩主が登城する際の専用橋として使われていた橋です。

 

 

 

 

福井城の築城400年を記念して、2008年(平成20年)に復元されました。

 

 

 

御廊下橋を渡ると山郷御門があります。

 

山里口御門は、「廊下橋御門(ろうかばしごもん)」や「天守台下門(てんしゅだいしたもん)」とも呼ばれていた福井城本丸の西側を守る枡形門(ますがたもん)です。

 

山里口御門は、福井城本丸の西側を守る枡形門で、築城当時に山里丸(松林)から本丸への入口として造られました。寛文9年(1669)の大火で天守などとともに焼失しましたが、その後再建されました。

 

 

 

桝形虎口になっているのがよくわかります。

 

 

 

門の裏から櫓門の中に入る事ができます。

 

 

 

 

復元された櫓門は、木造2階建てで切妻造、本瓦ぶき、上階の外壁は漆喰で仕上げられています。城階の桁行きは10.46メートル、梁間(はりま)は5.46メートル、棟の高さは8.41メートル、建築面積は70.58平方メートルです。

 

 

 

 

写真で福井城にまつわる文化遺産も紹介されています。

 

 

 

 

櫓門を抜けると大きな石垣と階段があります。

 

 

 

天守台の石垣が残されています。

 

 

 

この石垣は福井地震で大きく崩れたままになっています。

 

当時の地震の被害の大きさがよくわかる遺構です。

 

 

 

その横には福の井があります。

 

「福の井」は慶長6年(1601)の北ノ庄城(後の福井城)築城当時からあった井戸と考えられています。安永4年(1775)の「御城下絵図」の天守台には「福井」と記された井戸が描かれています。この頃には一般に「福の井」と呼ばれ、福井城の特別な井戸となっていたことがうかがえます。
 昭和23年(1948)の福井地震では、本丸の石垣がいたる所で崩れました。「福の井」が崩壊することはありませんでしたが、井戸の形が大きく歪んだことから、震災後に井戸枠が大きく作り変えられましたそうです。

 

 

福井城址の石垣です。

 

 

こちら側の石垣の一部が孕み出しが見られます。

福井城址石垣保存調査委員会の見解では今すぐ崩落する危険性は低いそうです。