三つ葉葵とゆめのあと 56 古渡稲荷神社① | 三道併進

三道併進

気まぐれで更新しています。

 

名古屋市中区にある古渡稲荷神社です。

 

いつ創建されたかは不明でこの神神社には八柱の神様をお祀りしています。

 

 

 

一柱目の神様は倉稲魂大神(ウカノミタマノオオカミ)という須佐之男命の子供で、伏見稲荷大社の主祭神でお稲荷さんとして広く信仰されている神様です。

 

 

 

 

二柱目の神様は伊弉冉尊(イザナギノミコト)という日本神話の女神で国生みの女神であり、多くの神様を生んだことから、子授かりの御利益があるとされています。

 

 

 

 

三柱目の神様は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)という天照大神の孫で、天照大神から三種の神器を託され地上へ降りた天孫降臨を行った神様で、五穀豊穣や商売繁盛の御利益があるとされています。

 

 

 

四柱目の神様は猿田毘古命(さるたひこのみこと)という天孫降臨の際、瓊瓊杵尊を道案内した猿とも天狗ともいわれる怪奇な風貌をした神様で、導きの神様として信仰されています。

また、アメノウズメ命と結婚したことから縁結びの神としても有名です。

 

 

 

 

五柱目の神様は菊理媛命(くくりひめのみこと)という神様で、「日本書紀」に登場する女神で、イザナギとイザナミが黄泉の別れに臨もうとしたときに、その仲裁を果たした役割から、男女の仲を取り持つ縁結びの神や事業の商談成立の神といわれています。

 

 

 

六柱目の神様は徳川義直卿で、徳川家康の九男で初代尾張藩主です。

 

 

 

 

 

七柱目の神様は徳川光友(とくがわみつとも)卿で、第2代尾張藩藩主です。

 

 

 

 

 

八柱目の神様は徳川綱誠(とくがわつなのぶ)卿で、 徳川光友の長男で第3代尾張藩主です。

 

尾張徳川家は義直公が偶像崇拝を禁止し、遺命により歴代藩主は肖像画を残していないため綱誠公の肖像画や木像などは現存していません。

 

 

 

 

義直公と光友公の肖像画は大須にある清浄寺が開山の感謝を込めて密かに描かせた物ですが太平洋戦争で焼失し、模写のみが現存しています。

 

 

由緒書きによると、尾張藩4代藩主の徳川吉通(よしみち)公が産土神として稲荷を信仰していたので、石枕村(現:江南市)の稲荷社を正徳3年(1713年)4月にここへ遷座し、併せて山王社を清洲から遷座して今の神社となったそうです。

 

 

 

 

 

 

境内には本殿の隣には秋葉神社、山王神社、五條天神社があり、中央が山王社で、大己貴命(オオナムチ)を祀っています。