三つ葉葵とゆめのあと 19 大須萬松寺 | 三道併進

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萬松寺を織田家の菩提寺として建立した織田信秀公は「尾張の虎」と呼ばれた武将で、尾張国の下級武士だったにも関わらず、息子の織田信長が天下を取る基盤としても重要な役割を果たしたと言われています。

 

 

 

 

 

織田信長は織田信秀の子に生まれ、尾張の一地方領主としてその生涯を歩み始めます。

 

信長は若い頃には奇天烈な行動が多く、周囲から「大うつけ」と呼ばれました。

 

「うつけ」という言葉は、「空(うつ)ける(からっぽである)」が語源だそうで、そこから暗愚な者、常識から外れた者を指すようになったそうです。

 

 

 

 

織田信秀公の葬儀の時に信長は位牌に灰をつかんで投げつけるという有名なエピソードがありますがこの時の葬儀が行われたのが萬松寺です。

 

 

 

 

 

現在も萬松寺には織田信秀公の墓があります。