昭和の時代に造られた復興天守はゼネコンのハザマ組が請け負ったのですがこの時代は全国各地で復興天守の再建ブームが起こっていました。
太平洋戦争で焼失した名古屋城の天守閣も同じくハザマ組によって再建されました。
名古屋城の復興天守閣は戦前に作成された実測図を元に計画されましたが、鶴ヶ城の復興天守は古写真を元に作成されたのですが、古写真には鯱が乗っている写真が無く、実際に鯱があったのかどうかが判明しませんでした。
そのため当時名古屋城と鶴ヶ城の再建を請け負っていたハザマ組の社長が金閣寺と銀閣寺からヒントを得て名古屋城が金の鯱だから鶴ヶ城は銀の鯱にしようという事で銀の鯱が造られたこうです。
この銀の鯱の目にはハザマ組の社長が寄贈したダイヤモンドが埋め込まれています。
同じノリで名古屋城の鯱にもダイヤモンドを埋め込もうとしたら名古屋市民の大反対を受けて断念したそうです。
上の写真は2021年にコロナ平癒を願っておろされた名古屋城の金の鯱を触りにいった時に撮影しました。