スイス紀行(番外編)余計なお世話としての考察 | 良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

いつのまにか「老いらくの記」という言葉が似合う、それなりの歳になってしまいました。
精一杯生きてきた事を何かに残したい、足跡を何かの形で残したいと思っています。

 スイスの中で、牛というものは一つの風物詩なのだろう。牧歌的な風景には欠かせないし、カウベルの音も詩情を盛り上げる。みやげ物屋にも、本物ではないだろうが、カウベルを売っている。

 4000m級の山々は岩嶺だが、そこに至る斜面はかなりの高度まで牧草地になっている。そこには当然ながら牛が放牧されている。たとえ霧の中でも牛の所在が分かるように、こういうものができたのだろう。確かにロープウェイに乗っていても、カウベルの音はどこからともなく聞こえてくる。ちゃんと目的は果たしている。ただ牛にしてみれば、草を食べる時いつも「のど元」でカランカランと音がする。あるいは水を飲んでいても歩いていても音がする。うるさいと感じないのだろうか?
 私自身にカウベルを付けられたらたまったものではない・・・と思う。あんなものを付けて毎日の生活なんてできない。「虐待だ〜、外してくれ〜」と叫ぶだろう。牛も本当はそう思っているのではないか。ただ手がないので自分ではずす事はできないし、言葉が通じないので、はずしてくれとも言えない。

 似たような話なのだろうが、昔は鈴を着けた猫がいた。最近はあまり見ない。猫の場合も所在地を示すためなのだろうか。犬の場合はどうなのだろう。服を着ている犬、可愛いと思う。ただ犬にとっては果たしてどうなのだろう。「どうだい。かっこいいだろう」と思っているのか、「冗談じゃない。こんなの脱がせてくれ〜」と思っているのか。本当のところをご本人(ここではご本犬)に聞いてみたい。

  アイガーのふもとで草を食む牛。のど元にはでかいカウベルが・・・