庭の干しブドウ | 良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

いつのまにか「老いらくの記」という言葉が似合う、それなりの歳になってしまいました。
精一杯生きてきた事を何かに残したい、足跡を何かの形で残したいと思っています。

 干した果物、いわゆるドライフルーツは、果物を乾燥させるため、果物の持ってる甘味が凝縮される。作り方は干して乾燥させるわけだが、趣味の方は別にして、自宅で作る方はそんなにはいないのではないか。
 さて今年も庭に植えているデラウェアがなっている。スーパーに売ってるものとは比べようもない。一房の粒の数も少ないし、まず見栄えが違う。それに種がある。ただ、食べるとそこそこ旨い。農薬なんかまかないので、害虫は来ほうだい。見つけては、「ごめんね」といいながら踏みつぶすが、虫の数にはかなわない。葉は穴だらけ。
 先日姪っ子の子(2歳)が庭でブドウ狩りを楽しんだ。見た目汚いブドウをけげんな顔で見ていたが、一つつまむと笑い顔になった。こういう顔を見ると嬉しい。
 庭のデコポンやイチジクは年によってなったりならなかったりするが、ブドウだけは毎年そこそこなっている。ほとんど取って食べてしまうのだが、取りきれなかったものが残ったまま枝にぶら下がっている事がある。日がたつうちにだんだん乾燥してくる。そして枯れてくる。枝にぶら下がったまま干しブドウができているわけだ。ある時思い切って食べてみた。何とこれがうまいのだ。甘さが凝縮され、まさにレーズン。ただ種が入っており、周りの皮部分をかじるということになる。家内の焼くパンにさすがに入れる事はできない。庭先でちょっとかじるくらいが関の山。自慢できるのは、うちのレーズンには枝がついていること。誰か来た時に酒のつまみとして出してみようか。美味しいと言って食べてくれるかしらん。
 ドライフルーツなんて偶然の産物なんだろう。最初はこうやって自然にできたものを食べる。「お、うまいじゃないか・・・」という事で、意図的に作り始める。人類の歴史が我が家の庭で体験できる・・・。今年も庭のブドウの木に干しブドウができつつある。