熊本地震と国道57号線 | 良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

良田 寛(ペンネーム) 新老いらくの記

いつのまにか「老いらくの記」という言葉が似合う、それなりの歳になってしまいました。
精一杯生きてきた事を何かに残したい、足跡を何かの形で残したいと思っています。

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         北側復旧ルート 二重の峠トンネル入り口

           トンネル出口から阿蘇五岳を望む

 

 熊本地震から約4年半、今年8月にはJR豊肥線が復旧、そして今月10月3日には待ちに待った国道57号線(JR豊肥線に並行する)が復旧した。従来の57号線に加え、外輪山を二重の峠トンネルで越える自動車専用道路・北側復旧ルートも開通し、地震の傷跡も少しずつ薄れていく。

 10月15日熊本へ帰省し、17日土曜日新しい二重の峠トンネルを通り阿蘇内牧までドライブをした。北側復旧道路の起点は大津の北側、ミルクロードへの登り口にある。緩やかな外輪山の裾野を登りトンネルを抜けるとあっという間に外輪山の内側赤水近くに到着する。新しい道は気持ちがいい。トンネルの先には雄大な阿蘇の五岳が見える。二重の峠越えに比べると格段の時間短縮になる。

 内牧のカフェでコーヒーを頂き、折り返し国道57号線を使い熊本へ戻った。不通区間赤水~立野を通るのは4年半ぶりになる。赤水の町並みは以前と変わらなかった。ただ立野に近づくにつれ地震の爪跡は濃くなっていく。国道沿いにあった「武蔵うどん」は、建物そのものはしっかりしているように見えたが、4年半の時間の流れが止まっている。白川の渓谷に架かっていた阿蘇大橋(阿蘇の南側へ通じる)は地震で崩落し、500mほど下流に新しい橋が作られている。国道57号線からは落ちた橋の跡が見える。深い谷の反対側には橋の一部分がぶら下がった状態でここも時間が止まっている。地震当時橋を渡っていた大学生の車は、橋もろとも下に落ち、発見されるまで約3週間を要した。橋跡の先にはアパートらしきものが見える。どのアパートかは分からないが、一階部分が崩れ大学生数人が亡くなっている。

 国道57号線、復旧して約2週間。すでにたくさんの人がここを通り、たくさんの人が崩れた橋の跡を目にしている。この光景を見た人達は果たして何を感じ何を考えたのだろうか。まだまだ地震の爪痕は残っており、記憶を消し去るには早すぎる。