最近ことごとくチャンスを逃してばかりで、
同じことが続くと、これは私に何を伝えようとしてるんだろう・・・?とか考えてしまいます。

でも、何となく分かったような気がします。


この前も、インフルエンザで楽しみにしていた会を休むことに。
すごく悔しかった。

なのに、男友達から、会の楽しそうな写真が送られてきて、早く元気になってねだって。

人が行けなくて悔しがってるのに何て無神経なんだろう。
いじわるでわざと
「来れなくて悔しいだろ~(笑)」
っていう乗りで送ってくるならまだ分かる。

それって、こっちが悔しがってるっていう気持ちが分かってるってことだし、
「もうムカつく~!(笑)」
みたいなやり取りを楽しんでじゃれ合いたいのかなって思うから。

でも、そういう冗談じゃなくて、ただの無神経で送ってきてるからゾッとする。

人の気持ちが分からない人なんだと。

前から無神経なこと言われたりされるたびに、どういう気持ちでこういうシチュエーションだから嫌な気持ちになると事細かに伝えてきたけど、そのたびに、全く分かってもらえず余計ストレスを感じていた。

分かるわけないじゃんとか、悪気はなかったとか、知らなかったとか、自己弁護ばっかりで。

悪気があった方がまだ救いようが有る。
人の気持ちがまるで察することができないのに、それで傷つけた相手に対して、申し訳ないという気持ちよりも、自分が責められて辛いという気持ちの方が先立って自分を守るための言葉しか浮かばない奴。

人の気持ちを察する感受性欠如+自分がかわいい+弱い男

だから、今回は何も言わずに無視した。


行けなくて悔しかった気持ちが余計刺激されて、何倍にも悔しさが増幅した。



だけど、そこでふと思った。

「こだわりすぎるから得られなかった時辛いんだよ」と。



今まで、あれしなくちゃ、これしなくちゃ、こうするべきという、
所謂自分の気持ちよりも常識とか責任とか、外部の判断軸で生きていたことに気づいた昨年。

もっと自分が楽しむために時間を使おう。

そして、その楽しむチャンスでは思いっきりはしゃいで笑って楽しもう!

そう決めた。

それで人生が楽しくなった。

楽しいイベントなんてそう何回もない。
一期一会と思って絶対に楽しい思い出残そうって、何日も前から心構えして。



でも、確かにそうやって意気込めば、何となく過ごす日々よりも楽しい思い出もできるけど、
だけど、それが叶わなかった時にものずごくショックを受ける。

楽しみにしてたのに・・・って。


チャンスを逃すってことだってそうだ。

自分が楽しみにしていたからチャンスだと思っただけであって、
飲み会とか、イベントとか、遊びの経験とか、別に人から見れば何も普通の出来事だったりする。

これまでチャンスを逃してきたって思ってきたけど、
そもそもチャンスかどうかっていうのは、私の「期待感」が勝手に作り出したものだった。

別にもともとチャンスだという認識がなければ、それが経験できなかったとしても、それほど逃した!という感覚は湧かなかったはず。


写真を送られてきても、もしそれがすごく行きたいって思ってなかったら、悔しくなんかなかったはず。


だから、

「楽しいことを逃さないようにしよう!イベントは全て楽しもう!って意気込むのはいいけど、あまりそこにこだわりすぎると、苦しくなるよ」

という神様の忠告だったのかもしれない。



楽しいことを逃すのは悔しい。
それに、チャンスを逃す自分は愚かな人間に思えてくる。
バカだなぁと誰かにせせら笑われている気がしてくる。


だけど、あらかじめ期待しすぎないで、楽しいことが起こればラッキーくらいの気持ちでいた方がいいんだ。

それに、チャンスを逃すのは愚か者と自信を失わなくたっていい。物事は6割くらいしか思うようにいかないものだって思って、4割くらい思うように行かなくなってそれで普通って思えばいいんだ。



「最近チャンスを逃してばかりなのはなんでだろう?」っていう疑問が解けた。

そもそもそれがチャンスだと決めつけていたのは自分。
そして、1つの考えにこだわりすぎていた自分のせい。


なにごとも中庸が一番ですね。