先週父が亡くなった。
ずっと入院していて、危険な状態が続いていたから、家族みんな覚悟はできていた。
だから驚きもせずに、やっと楽になれたか、といった感じで。
意識不明の状態ならまだしも、意識はあるのに、延命治療もしてないのに、口もきけず、動けず、食べられず、のまま生き続けないといけないなんて、拷問のように辛いだろうから、楽にさせてあげたかった。
それにしても、家族の誰も悲しまない。亡くなった日も、式の準備中も、冗談を言って笑っていた。
私も悲しくない。悲しくないのが悲しかった。
うちの父親はDV親父だった。
あるのは恐怖だけだった。
もうおじいちゃんになって、病気になって、やせ細って、絶対私の方が強いと分かっていても、会う時は恐怖で体が硬直していた。
それでも、徐々に父親に対する気持ちを変えようと努力していった。
そして、最近の気持ちとしては、
トラウマはあるければ、恨んでもない、嫌いでもない状態になっていた。
もう昔のDV親父はいない、今はただのおじいさんだ、病人だ、と気持ちを上書きすることで、徐々に恐怖感もなくなっていった頃だった。
でも、それでも死んでも悲しみというか、失う辛さはない。
それってやっぱり、愛し愛されて、幸せな気持ちの交換がなかったからなんだと思う。
誰かが死んで悲しいというのは辛いかもしれないけど、
それはその人から愛をもらってた証拠なのかもしれない。
尊い愛を受け取ったのだから、その悲しみくらいは甘んじて受け入れなくてはいけないのかも。
愛情税みたいなもんだ。
私は、愛をもらえず、苦しみと悲しみと恐怖を与えられていたのだから、
代わりにその人を亡くした時の悲しみを味あわなくても済むんだろう。
親を亡くして涙していない私をろくでなしと思わないで欲しい。
恨んでるわけでも嫌いなわけでもないけど、みんながもらってる愛をもらえなかっただけなのだから・・・
そう、失って悲しい、いやだ、行かないでーと思えるのは、自分の中に失いたくない物が「有る」状態。
受け取っていたということ。
私は失うものが私の中に何も「無い」。
だから、いやだ、行かないで-という意味の悲しみの涙が出ない。
ただ、可哀想な人だ・・・と哀れみの気持ちしか湧かない。
いくら優しい人でも、ニュースを見て、どこかの一般人が亡くなったと知ったら、可哀想、、、と泣けても、やだ、行かないで-と自分ゴトとして涙は出ないと思う。
そういう、まるで他人のような感覚しか湧いてこないんだ。
だけど、告別式が終わり、お別れの時。
親族と参列者全員でお花を棺の中に入れた時、涙が溢れてきた。
真っ白になった父の顔の周りが白や桃色や黄色い花でいっぱいになって、
天国のように、癒されていくのが分かった。
思えば父もその父親にDVを受けていた。
3歳の時に母親を亡くし、
継母にいじめられ、父親にもDVされていたという。
そして、自分は幸せな家庭を築きたいと思いながらも、
DVの連鎖で、自分もDVしてしまって、家族を不幸にしてしまった。
兄弟にも、仕事の部下にもきつくしてしまった。
自分が苦しんだのに、さらに人を苦しめることで、また自分も苦しんだことだろう。
そして、人生の後半は、障がいを持ち、長い間何もできず、しまいに半殺しの状態で死ぬに死ねない状態が長く続いた。
なんて悲しい人生だったろう。
本当は、愛されたかった、愛したかっただろう。
そんな父の悲しく苦しい人生が、花に囲まれ、浄化され、癒されるように感じた。
やっと苦しみから開放されるね。
辛かったね。
やっと癒されるね。
やっとお母さんに会えるね。
そう思ったら、涙が溢れてきた。
戒名は、お坊さんが私たち遺族に話も聞かずに勝手につけた。
その意味は、「温厚で優しい人」。
DVされて恐怖ばかりが残っている家族みんなは「は?!」って感じだった。
だけど、私は思った。
父も、本当はそういう人だったのかもしれないと。
親から愛される人生を送っていたら、本当は優しく怒らない温厚な人になっていたのかもしれないと。
だから、仏様になることで、父親は現世での一切の苦しみから開放され、本来の温厚な人になれたのかもしれないと思った。
そう信じることで、私もまた自分の苦しかった恐怖に満ちた人生を上書きできる。
父親に対する恐怖のイメージを、温厚な父親というイメージで上書きすることで、
私もこれまでの苦しみや愛されたかったという悲しみを成仏させることができるように思う。
ずっと入院していて、危険な状態が続いていたから、家族みんな覚悟はできていた。
だから驚きもせずに、やっと楽になれたか、といった感じで。
意識不明の状態ならまだしも、意識はあるのに、延命治療もしてないのに、口もきけず、動けず、食べられず、のまま生き続けないといけないなんて、拷問のように辛いだろうから、楽にさせてあげたかった。
それにしても、家族の誰も悲しまない。亡くなった日も、式の準備中も、冗談を言って笑っていた。
私も悲しくない。悲しくないのが悲しかった。
うちの父親はDV親父だった。
あるのは恐怖だけだった。
もうおじいちゃんになって、病気になって、やせ細って、絶対私の方が強いと分かっていても、会う時は恐怖で体が硬直していた。
それでも、徐々に父親に対する気持ちを変えようと努力していった。
そして、最近の気持ちとしては、
トラウマはあるければ、恨んでもない、嫌いでもない状態になっていた。
もう昔のDV親父はいない、今はただのおじいさんだ、病人だ、と気持ちを上書きすることで、徐々に恐怖感もなくなっていった頃だった。
でも、それでも死んでも悲しみというか、失う辛さはない。
それってやっぱり、愛し愛されて、幸せな気持ちの交換がなかったからなんだと思う。
誰かが死んで悲しいというのは辛いかもしれないけど、
それはその人から愛をもらってた証拠なのかもしれない。
尊い愛を受け取ったのだから、その悲しみくらいは甘んじて受け入れなくてはいけないのかも。
愛情税みたいなもんだ。
私は、愛をもらえず、苦しみと悲しみと恐怖を与えられていたのだから、
代わりにその人を亡くした時の悲しみを味あわなくても済むんだろう。
親を亡くして涙していない私をろくでなしと思わないで欲しい。
恨んでるわけでも嫌いなわけでもないけど、みんながもらってる愛をもらえなかっただけなのだから・・・
そう、失って悲しい、いやだ、行かないでーと思えるのは、自分の中に失いたくない物が「有る」状態。
受け取っていたということ。
私は失うものが私の中に何も「無い」。
だから、いやだ、行かないで-という意味の悲しみの涙が出ない。
ただ、可哀想な人だ・・・と哀れみの気持ちしか湧かない。
いくら優しい人でも、ニュースを見て、どこかの一般人が亡くなったと知ったら、可哀想、、、と泣けても、やだ、行かないで-と自分ゴトとして涙は出ないと思う。
そういう、まるで他人のような感覚しか湧いてこないんだ。
だけど、告別式が終わり、お別れの時。
親族と参列者全員でお花を棺の中に入れた時、涙が溢れてきた。
真っ白になった父の顔の周りが白や桃色や黄色い花でいっぱいになって、
天国のように、癒されていくのが分かった。
思えば父もその父親にDVを受けていた。
3歳の時に母親を亡くし、
継母にいじめられ、父親にもDVされていたという。
そして、自分は幸せな家庭を築きたいと思いながらも、
DVの連鎖で、自分もDVしてしまって、家族を不幸にしてしまった。
兄弟にも、仕事の部下にもきつくしてしまった。
自分が苦しんだのに、さらに人を苦しめることで、また自分も苦しんだことだろう。
そして、人生の後半は、障がいを持ち、長い間何もできず、しまいに半殺しの状態で死ぬに死ねない状態が長く続いた。
なんて悲しい人生だったろう。
本当は、愛されたかった、愛したかっただろう。
そんな父の悲しく苦しい人生が、花に囲まれ、浄化され、癒されるように感じた。
やっと苦しみから開放されるね。
辛かったね。
やっと癒されるね。
やっとお母さんに会えるね。
そう思ったら、涙が溢れてきた。
戒名は、お坊さんが私たち遺族に話も聞かずに勝手につけた。
その意味は、「温厚で優しい人」。
DVされて恐怖ばかりが残っている家族みんなは「は?!」って感じだった。
だけど、私は思った。
父も、本当はそういう人だったのかもしれないと。
親から愛される人生を送っていたら、本当は優しく怒らない温厚な人になっていたのかもしれないと。
だから、仏様になることで、父親は現世での一切の苦しみから開放され、本来の温厚な人になれたのかもしれないと思った。
そう信じることで、私もまた自分の苦しかった恐怖に満ちた人生を上書きできる。
父親に対する恐怖のイメージを、温厚な父親というイメージで上書きすることで、
私もこれまでの苦しみや愛されたかったという悲しみを成仏させることができるように思う。