早いもので気付けば2017年の5月。
年が明けて瞬きをしたくらいの感覚。
でも年明けから今日までいろいろあって。
前回のブログから本当にいろいろあって。
先に書いておきます。母は元気です。
2016の夏、ニューヨークの時に8年働いていたサロンが日本で一号店を出し、そこの代表になりました。
フリーランスでいろいろやっていた最中に『責任』という名の代表の立場をいただく。
確実なステップアップで、光栄でしかない。
ただ、『技術』が好きな職人気質の私。
「責任」という文字が付きまとう。
フリーランスとして自由に、でも一生懸命にやってきた4年。
出会いと吸収、刺激とエネルギーに囲まれて動きまくってた4年から、生活は急変。
週に5日、サロンに出勤し、同じ顔とずっと仕事する。
マネージャーとして、責任者として。
大人をまとめるのは大変。
正直な感想。
ゼロから物事を組み立てるのは大変。
正直な感想。
でも
日々、クライアントが増えていくこと。
外を歩くと色んな人に声をかけられるようになったこと。
新たな人たちとつながって、いい出会いがあったこと。
ありがたい限りです。
外へ向かう感じ、広げる役目。
好きだし向いてると思う。
そしてどんなに大変でも、
今あるこの命と生活に
感謝なのです。
そこに母がいるからです。
母は今、ベッドの上で寝ているだけ。
母を通じて、なにがどうあれ、自分の命や自分自身に感謝させられます。
ただ、
ただ。
目を覚ましてる母に出会えるのが貴重になってきました。
目を閉じている母を見ることがほとんどになってきました。
父と一緒に母を訪ねると
父の声には反応します。
父が顔を近づけて母の名前を呼ぶと
ぱちっと目を明けて、ニコニコ。
でも私の方を見る前に目を閉じてしまいます。
私も耳元で呼びます。
「お母さん」
「お母さん」
「お母さん」
・・・
母には、
もう、
私の声は届かないのかもしれない。
父が声をかけます。
「おい。しのぶがきてるぞ。」
とほっぺを触ると
ぱちっと目を開けて父を見ます。
そしてニコニコ。
その後ろに立って、視界に入るように手を振ります。
そしてようやく私に気づく母。
そうです。
そうです。
もうここまでしないと、母に気づいてもらえなくなりました。
父のおまけとして、母に笑ってもらっているような感覚。
むなしいし悲しい。
笑ってくれるのは嬉しいけど。
私の声も
私の顔も
もしかしたらもう母にはわからないのかな
って。
本当に最近思います。
それでも
一瞬でも見える母の笑顔を見るため。
休みの日は実家に帰って
母の病室へ。
ここまでくると完全に自己満なんだろうなと思います。
私もそこまで偽善者ではないので書きますが
介護は少し介護する側の自己満があると思う。
辛い。
大変。
苦しい。
知ってます。
そこ、通ってきたんで。
でもそこを通ってきた私の意見。
自己満。
少なからず心の片隅にあります。
寝たきりの母のお見舞い。
『母のため』
ではなく、もう、ほぼ
『自分のため』
に行ってます。
母の顔を見て
母の顔を拭いてあげて
手を握って
母の好きな歌を流して
一緒に歌って
「ありがとう大好きだよ」と言って帰る。
いつも。一緒。
『喜んでくれている』と自分に言い聞かせて車を運転して帰る。
たとえ目を開けてくれない時が続いたとしても。
こうやって
先を考えたり、少しずつ心の整理をしていくんだよね。
本当に少しずつ。
母の出来ることが減っていくこの感じ。
私が母のために出来ることが減っていくこの感じ。
車椅子だったあの時期が懐かしい。
声を出してわけのわからないことを言っていた頃が懐かしい。
このまま母の声を忘れてしまうのが怖い。
それよりも先に母に忘れられてしまったのかもしれない私の声。
私の
「お母さん」
の声は
一体どこに行ったらいいのだろう。
私の名前をいつの間にか呼べなくなった母
それでも私は願い続けてしまうのです
夢の中でもいい。
お母さん
もう一度
私の名前を呼んで
それでも私は懲りずに来週の休みに母を訪ね
「お母さん」
と呼ぶのでしょう。
母に会っている時間を大切にしたいという、自己満のために。
苦しくても大変でも
その時間を恋しいと悔やむ時が必ずきます。
介護は自己満でいい。
楽しみを見つけて、家族のことを見捨てないで。
そばにいてあげてください。
あなたは、一人じゃない。
若年性アルツハイマー型認知症と診断されてから
数年経ち、母の心のバランスが崩れることも多くなった頃
多く見られるようになったのが、幻聴・幻覚でした。
それがひどくなり、徘徊もしばしば起こりました。
今回は幻聴から来る母の行動や、家族には困ってしまうような母の発言への私なりの成功例を具体的な例と共に書き残したいと思います。
以前の記事で、母の幻聴には3人が多く出てくることを書かせてもらいました。
一人は、「神様」
もう一人は、「父親」
そして最後の一人は、「私の働いていたニューヨークのサロンのオーナー」
です。
他にも、斜め向かいに住んでるおばさまや、母の兄弟や、昔働いてたとこの人など。
それは様々な人たちが出てきましたが、多かったのが上の3名です。
時には会話しているように、
時には一方的に呪文のように。
聞こえてくる声に対してずっと話していた母。
お辞儀もしていましたし、時にはご飯を食べる手を止めてまで話していました。
最初はなんのことやらわからず、対処の仕方もわからず、話し続ける母に正面から向き合ってしまっていた私たち家族。
当時ニューヨークに住んでいた私は、物事を外から見れたので
父と姉よりもいち早く、その奇妙な幻聴に対する向き合い方を見出しました。
お医者さんやカウンセラー、今ではネットや本、どこにでも載っていますが
当時はほぼ、「どうしたらいい」という情報が極めて乏しく、自己流を見いだすしかなかったんです。
当時の私、25歳。
当時の母、61歳。
今となっては常識にさえ近いですが、
患者さんを否定してはいけません。
間違えてると言ってはいけません。
責めてはいけません。
出来なくても怒ってはいけません。
ひどくなってきていた母の幻聴に対する家族の最初の頃の接し方
↓
「お母さん誰と話してるの?」
「誰もいないよ。」
「ずっとしゃべっててご飯食べてないじゃん。」
「いない人と話してないで、目の前にいる人と話しなよ。」
「静かにして。」
「そんなことその人言ってないよ。」
「今ここにいない人がそんな事いってるはずない。」
全て、全て、全て。
はい。大間違いです。
私が父と姉に見せた改善策
↓
「お。神様きてくれたんだね。よかったねー!」(話させる事で脳の活性化を図る)
「うんうん。それでなんだって?」(聞いてあげるとこちらに嬉しそうに話してくてる)
「あ、そういえばそんな事言ってたかも。」(同調してあげて自分が間違えてないと安心させる)
「へー!そうなんだ。知らなかった!教えてくれてありがとう。」(自分が情報を教えてあげてるという気にさせて、自信を持たせる)
表情が明るくなります。
現状にぶつかった時、家族は辛くてきっとイライラしたり、なんでこれがいいのか理解しがたいと思いますが、
後々患者さんの心のバランスが崩れた姿を多く見るようになったり、話す事しなくなってしまった時に、もっとこうしてあげればよかったと後悔します。
間違えてる、否定する、責めるという行為を患者さんにすると
本人の自信を失わせるだけでなく、家族に対する信頼も無くします。
味方がいないと感じる事が多くなると、塞ぎ込み、心のバランスが崩れるスピードが早くなったり、悪化のスピードが早まります。
イコール=
家族が大変になります!!!!
すこぶる悪循環なんです。
絶対に否定したり責めたりしないであげてください!
さらに、もしもこちらに都合の悪いようなことを言ってるという場合もあります。
例えば。
・夜中に「お父さんが来いって言ってる」と家から出ようとしたがる
・ご飯を食べる時に「神様がこれから来るとおっしゃってる」とご飯を食べようとしない(薬を飲まないといけないのでご飯は食べさせたい、ご飯を食べた後にやらなきゃいけない事がある等)
・病院やお店、公共の場にいる時に「お父さんが帰って来いって怒ってる!」と怖がりその場にいなきゃいけないのに動こうとする
など、例を挙げ始めたらキリがないのですが。
そういった場合、正面からぶつかっても絶対にうまくいきません。
叫んだり、暴れたりしてしまうかもしれません。
その場合、私が思いついた方法。
母の幻聴の相手を利用する
事です。
こう言ってしまうと聞こえは悪いですが、
患者さんの、「少し経ったら忘れる」のをうまく活用するのです。
ここにきて、そんなの「かわいそうだから出来ない」なんて筋が通らないレベルまできています。
患者さんに正論をぶつける事は、人格否定につながり、悪化を進めます。
なので、こちらが冷静になり、利用できる事は利用する。
私は母を守るためにこれを思いつきました。
都合の悪い状況になってしまった場合の例えばの方法は
私もその相手としゃべる
私が代わりに話してあげる
私が聞いた話と違うから確認すると言ってその場で話すふりをする
私が代わりにやってみるふりをし、母がする必要性がない事を示して安心させる
などなど、です。
先ほどの例で照らし合わせると
・夜中に「お父さんが来いって言ってる」と家から出ようとしたがる
対処例ー
「ほんとに?それは大変じゃあ出かけられる準備してくるから待ってて」といい、部屋のドアから一旦出て少しして戻る。少し経って戻り、「はー眠い眠い。私もお母さんと一緒に寝ていい?」などど優しく話しかけて寝ようとする
↓
結果:
私が部屋から出て戻って来たというアクションが母に植え付けられ、もともとの内容を忘れている場合が多かった。
一緒に寝よう、と誘うことで安心し、心が穏やかになりやすくなったことも多々。
*ただし、それでも覚えていた場合もありました。
その場合、「じゃあ出かけられるようにトイレ行こう」とトイレに行かせて出かけることを忘れさせたり、簡単に着替えさせたり私が着替えたりしてもともとの出かけるという行為を忘れさせてあげました。
・ご飯を食べる時に「神様がこれから来るとおっしゃってる」とご飯を食べようとしない(薬を飲まないといけないのでご飯は食べさせたい、ご飯を食べた後にやらなきゃいけない事がある等)
対処例ー
「え、ほんとに!?じゃあいらっしゃってからご飯食べてたら失礼だから今食べちゃおう!」
「私も聞いたよー!でもその前にご飯食べておきなさいって言われたよ。」
「あ、神様?はい。どれくらいでこちらにいらっしゃいますか?あ、もう食べてこられたんですね?ではこちらも食べ終えてお待ちしておいた方がよろしいですね。」
等、幻聴の相手との会話に入ったり、自分もその人と話せるふりをして一歩先の伝言を伝える。大事なのは、母が神様を慕っていたのでこちらも慕って大切に扱っている事を示す事。
結果:
私を仲間と思い、私の話に同調してくれたり、私の提案に賛成してくれる事がほぼだった。
あとは、神様として拝んでいたので一緒に拝んであげるふりをし、こうした方が喜ぶ、こうしたら失礼だからやめよう、と言って実際こちらがしてほしい事に誘導する。すると比較的すんなり受け入れてくれる事が多かった。
・病院やお店、公共の場にいる時に「お父さんがどこにいるんだ、早く帰って来いって怒ってる!」と怖がりその場にいなきゃいけないのに動こうとする
公共の場での幻聴は対処が大変ですよね。声も荒げられません。
対処例ー
「さっき電話しといたから大丈夫だよ」
「え。いつ?今お父さんが、しのが一緒なら大丈夫だからたまにはゆっくりしてこいって言ってるんだけど。怒ってたの少し前じゃない?」
「あー!ごめん!私がお父さんに電話するって言ってて電話するの忘れてた!!今電話するね!!」と言って携帯電話で電話かけるふり、そのまま話してるふり。「大丈夫だって~。」と伝える。
「今からお父さんも来るから、ここで二人で待っててって。もうすぐ着くって、機嫌治ってたよ。」
結果:
ほぼ確実に安心して落ち着きました。
母の場合、父に対してこわいというイメージが強く、常に完璧な妻を目指していた母は、父がいないところで何かをしていたり、父がいないのに勝手に出かけてるという事に対し、「怒られる」と怯えていう事を聞かなくなってしまう事が多々ありました。
ここで、父からの暴言や暴力に対するストレスや恐怖心を私たちには一切それまで見せず、一人で持ち続けていた事がわかった悲しい時期でもありました。
なので、大丈夫だという安心感を与えてあげる事に徹しました。
なんとなく見えてきているかもしれませんが、
大事な法則は数点です。
一緒の事をする事によって、こちらが仲間だと思わせる
しなきゃいけない行動を忘れさせるために、他の行動をする
同調したり、便乗したりして患者さんの思い込みを新しい情報に塗り替える
以上の事に共通する目的。
それは
『安心させる』『信頼を得る』『自信を持ち続けさせる』
事でしょう。
特に、『安心させる』事。
大丈夫、お母さんは間違えてない。
私たちは味方だよ。
安心して、お母さんは私と一緒だよ。
と示してあげる事です。
まさに発想の転換でした。
『!!すぐに忘れるという症状を逆に利用する。!!』
聞こえは悪いですが、母の幸せを思って私が考え抜いた事。
それを実行し、父と姉の前で私がそれを見せ、二人に教えました。
目の前で手に取るようにわかる結果に二人も少しずつやり始めました。
それで今までぶつかっていた家族と母の関係が丸くなり、雰囲気も良くなりやすくなっていきました。
何よりも、家族と母自身の心も体も楽になった、というのが一番の収穫でした。
介護する家族に必要なもの
患者さんを想う気持ち
大変ですが忍耐
大目に見てあげる気持ち
(わかります。この三つ、本当に大変ですよね。でも無理な自分を責めず、常に心がけることが大事。諦めないでください。)
あとは、『愛のある嘘』!!!
幻聴で聞こえてくる相手と自分も話せるという嘘。
大丈夫だという状況を作る嘘。
安心させるための嘘。
と、少しの演技力
ですかね。
あくまでも、自分と母、家族と母との間での対処です。
他人を巻き込む時はその方の迷惑にならないように、柔軟性を持って考えて嘘をついてあげること。
これを参考にして、自分なりの法則を、介護してるご家族の方々には見出していただきたいです。
患者さんは孤独で不安。
どうか味方でいてあげてください。
安心させてあげてください。
自信をもたせてあげてください。
それが出来ると、本当に進行が遅くなるのが目に見えてわかります。
言い方を変えれば、悪化を最小限度に抑えられるので、介護する方が楽なんです!
介護する方も、される方も。
お互いに少しでも楽になれる参考として。
私たち家族はこのように一番母の心のバランスが崩れていた時期を乗り越えていきました。
