お母さん、もう一度私の名前を呼んで -2ページ目

お母さん、もう一度私の名前を呼んで

アメリカに移住した21歳の私。22歳の終わりに母の若年性アルツハイマー型認知症を当時の私が発見。そして30歳で帰国。その現在までの出来事、思う事、教わった事、思い出した事。忘れたくないから書く。辛い事を辛いままにしたくないので書く。

 

胃瘻になって早数ヶ月。
母の状態は安定しています。


安定していますが、確実に病気が進行しているのもなんとなくわかります。



寝たきりになり、胃瘻になると
進行の具合がわかりづらくなるんだなぁと感じています。


体はほぼ動かさないし、自分から言葉を発することがないので
基準になるものがないのです。



でも小さく見える進行の兆し。



あれだけ好きだった歌も、もう歌わなくなってしまった。
口が動いていた夏。


もう歌に反応することはほぼなくなった。
それは実にわかりづらい変化だけど、ふと気づくと確かにもう歌を歌うことがなくなった。
先月くらいに思って。


「あ、お母さん歌に反応してない。」
って。



でも聞こえてはいるし、音楽が好きという根の部分はまだあると信じて
父は新しいCDを買ってきてあげていた。





変わらないことは
私の顔をみて笑ってくれること。
顔を見るとニコニコ。


可愛いお母さん。
じっと私の目を見つめて頷いてくれる。

ありがとう。






今年の夏、胃瘻の手術をした時に
お医者さんに言われた。




「今年の冬、勝負になるかもしれません」と。



冬を越せるか越せないか
来年を迎えられるか



今年の夏から私達はこのプレッシャーとともに母と時間を過ごしている。





でもありがたいことに今の母はとても調子がよく、
この前暖かい日に車椅子に乗せて外にお散歩に連れてってあげることが出来た。






出来ることと出来なくなったこと。
してあげられることと、してあげられなくなったこと。



着実にその幅は狭くなってきてはいるけれど、
母の命の灯火は変わらずあたたかく、私たちをつなぎとめてくれている。





今年ももうすぐ終わり。
今年は本当にいろんなことがあった。




去年の今、母はまだ風邪をひいていた。
まさか寝たきりになるなんて思っていなかった。




風邪からの床ずれ。
床ずれ手術では生死をさまよい、母は戻ってきてくれた。

でも寝たきりに。
そして胃瘻に。

在宅は不可能になり、施設へ。





一年でめまぐるしくいろいろ変わってしまったけれど
母は生きている。





まだ笑ってくれる。
感情はあるし、人間らしさもある。




母は変わらず私の母で、愛おしく、世界で一番大切な人です。
そんな2015年。





お母さん今年は本当に頑張ったね。
ありがとう。



来年も少しでも多くの母の笑顔が見れますように。
一緒にいられる一瞬一瞬を大事にしていこう。







どうか全国の患者さんたちとそのご家族も同じ思いで
暖かい気持ちで今年を終え、来年を迎えられますように。
 




 

 
実は
7月の終わりに

突然母が手術をしました。


胃に管を通して、そこから栄養と水分を送るためです。

それが「胃瘻(いろう)」の手術です。



前回のブログで
口から水も飲めなくなったと書きました。
その頃は鼻から胃に管を通して、そこから流動食というか、管に流して少しずつ胃に入るようなシステムを取っていました。

そこから水分も取り入れるため、口から私たちが母に与えてあげられる事がなくなってしまいました。



なんだか、本当に



一つ一つ、母のためにしてあげられる事が断ち切られていってしまう感じがして

悲しくて辛くて。




一緒にお出かけが出来なくなり
一緒にお風呂に入る事も出来なくなり
一緒に寝る事も出気なくなり
一緒に歩く事も出来なくなり
一緒にご飯を食べる事も出来なくなり

家に一緒に住む事が出来なくなり。

オムツも替えてあげる事も出来なくなり
ご飯を食べさせてあげる事も出来なくなり
髪の毛を切ってあげる事も出来なくなり

お水を飲ませてあげる事さえも出来なくなりました。



なんだか、こうやって少しずつ無くなっていくんだなぁって。
ここ半年ですごいスピードで。


去年の今頃、こんな風になるだなんて思ってもみなかった。
こんなに早いだなんて思ってなかった。

全ては年末に引いた風邪のせい。
あの風邪の悪化のせい。

悔やんでも悔やみきれない、悪夢の2週間。



忙し過ぎて実家に帰れなかった2週間。
実家に帰るために姉に連絡したら「お母さんの微熱がここ10日間下がらない」と。
市販の風邪薬で約2週間。

どうしてもっと早くケアマネージャーに連絡しなかったのか。
なんでもっと深刻に捉えなかったのか。


どうして私はその2週間連絡しなかったのか。
まじ、バカヤローだ。
私も、姉も、父も。

そこから全てが狂った。






そしてそこからたったの約8ヶ月後の現在、


母の胃には管が通っている。




風邪を引いてからたったの約8ヶ月。





あんな風邪のせいでこの8ヶ月の間に

母は生死さえさまよった。




私は何度泣いた事か。
本気で母がいなくなるといういつかはくる事実に直面しなければいけなくなった。

泣いて、眠れなくて、仕事とかどーでもよくなちゃって
友達にも、職場の人にも優しくなれなくなっちゃって。


ありがたい事に母は私たちの元に戻ってきてくれた。
意識が戻らなかったあの時間。忘れることが出来ない。

でもよかった。本当によかった。
ありがとう。




しかし、ふと考える。




母は



今何を考えて生きているのだろう


ベッドの上でじっと動かず
胃に穴が開けられて


決まった時間に管から少量の水っぽい食事という名の液体を入れられて
時間がくるとオムツを替えてもらい

週に何度かお風呂に入れさせてもらい
服を着替えさせてもらい
数ヶ月に一度髪を切ってもらい



ああしたいこうしたい
あれがいいこれがいい

という自分の希望は人に求めず



ただ、私や父の


「笑ってほしい」


という願いに応えてくれている。







今は。


そう、今はそれが可能なのだ。



この8ヶ月間で、この先どんな近い未来になにがどうなるかなんてわからない事を
身にしみて感じさせられた。



なので、今は毎週会いに行き、母と二人で過ごす時間が
どれだけ大事かが痛いほどわかる。





この笑顔がいつまで続くのかわからないと
悟ってしまったから。







病室に着くと


顔を拭いてあげて
髪をブラッシングしてあげて

手を握って
腕をさすって
頭を撫でて
ほっぺを撫でて

一緒に歌って



思い出話しを少し織り交ぜながら




私は毎回、私が母の娘であるという事と
私の名前を




何度も何度も言うのです。






少しでもわかってほしい
わかってくれてると信じたい






笑ってくれる母をいつまでも見ていたい
暖かい手を握っていたい



声がかすれてもう上手く出なくなっても
歌詞がわからなくても




一生懸命記憶にある歌を、枕元のプレーヤーから流れてくる音楽と一緒に
口を動かす母を見て




私の涙腺は毎回崩壊しそうになる。










先週母に会いに行った時


美空ひばりさんの「川の流れのように」を流してあげた







すると母が笑顔になり


その後、





泣いた。





母が泣いていた。



「お母さんどうしたの?どうして泣いているの?」







「どこか痛いの?」
→無反応。


「悲しいの?」
→無反応。


「嬉しいの?」
→・・・うなずく。  


!!!!!



「感動してるの?!」

→強くうなずく!



確認のため、もう一度

「悲しいの?」
→首を振る!



「嬉しいの?!」
→頷いた!!!






お母さんが嬉しくて、感動して泣いた。



はっきりと、
悲しいんじゃなくて、嬉しくてないていると
反応を返してくれた!





すごいすごいすごい。
お母さんすごいよ。



また泣かされた~!
ああ、お母さんありがとう。




そんな笑顔を私に向けてくれてありがとう。
もっともっと一緒にいれる時間を大切にしようと思った。







母にはまだ感情がしっかりとあるのだ。



そんな母を今は目に、肌に、心に、記憶に
焼き付けておきたい。





どんな時間も無駄にすることは出来ないのだから。
今という時間は今しかないのだから。






明日また、母に会いにゆきます。




 
 
 






久々のブログ。

日々色々あってもなかなか重い指が動かず。
今日は母のことでしばらく眠れそうにないから書きます。


昨日から母が施設に移りました。
昨日までは床ずれの手術の後、病棟を経てリハビリ科へ。
リハビリ回復期病棟で3ヶ月ほどお世話になっていました。


手術後の大きな変化といえば



何も口から摂取できなくなったという事です。

手術をしてから、点滴と鼻からの管で栄養をとっていた母。


食事が出来なくなっても、お水を飲めたので
お見舞いに行くといつもスポイトでお水を飲ませてあげていました。




お水を飲むと目がパッチリと覚めて、
ニコニコしてくれるのが嬉しくて

綺麗に顔を拭いてあげて、
そのあとスポイトでお水を飲ませてあげるのが
お見舞いに行く私の日課になっていました。



しかしある日、看護師さんにお水をあげるのを止められました。



「もうお水は口からあげないようにしてください。
むせてしまうので。」



要するに、喉の筋肉が衰えてしまい、
水でさえも飲み込めなくなってしまったということです。

むせるという事は、下手したら溺れてしまうということなのか。
と、寂しいながらも納得し、

顔を拭いてあげたり
髪をブラッシングしてあげたり





限られた範囲にはなってしまいましたが母のニコニコが見たくて
相変わらず休みになると実家に帰省する日々が続いておりました。




しかし、



それまでは水を飲ませてあげると目を覚ましてくれていた母。



めっきり起きている母に会えるのが減ってしまいました。
寝てるか、意識はあっても目を開けてくれないのです。



5月後半から6月になると
3週連続でお見舞いの時に目の開いてない母だったりで
ことごとく母に会いたいという私の心は跳ね返され。。。




でもだからこそ、
起きている母に会えるのが貴重で大切になったんだと思います。

それと同時に、


こうやって目の閉じている時間が増えていってしまったら・・・



と、人知れず不安になり、一人で涙した日もありました。







そんなある日、実家に姉も父もいなくて一人でバスで病院に直接行った時。
いつものようにイヤホンで音楽を聴いて母の病棟に向かいました。

エントランスについて、携帯とイヤホンをポケットの中にふと入れて母のもとへ。




中腰で話しかけていたら、看護師さんが椅子を出してくれました。


座った時に、ポケットの携帯が邪魔でカバンにしまおうと出した時です。





ふと、歌うことが大好きだった母のことを思い出し、


「むしろどうして今までやらなかったんだろう!」

と自分を責めました。



4人部屋だったので、周りの人を気遣い
イヤホンを母の耳に装着し、


母の大好きだった演歌と歌謡曲を流したのです。





するとどうでしょう。



みるみるうちに母の顔に血の気が戻り
硬く閉じられていた口が大きく開き


母が声を出し始めたではありませんか!!!



それはそれは声にならないようなかすれ声で
言葉にならないようなものでしたが



歌に合わせてうなずいたり
一生懸命手を動かそうとしてみたり
時には首から上の頭をグッとあげて、今にも動き出しそうな



生き生きとした母の姿がそこにはありました。





とはいっても

もちろん歩けないし、一人で寝返りもうてない母。
大きく動いたわけではありませんが。



その前までの


ただ、寝てるだけ。
寝かされた時の格好のまま、腕さえも動かさない。
声も出さないし、ましてや声をあげて笑うなんてそうそうしない母。




その母を数週間見続けてきた私は



母のその嬉しそうな顔と
一生懸命歌おう、動こうとしている母を見て



嬉しくて嬉しくて
涙が溢れました。





実は、半ば心が折れかかっていた私。




母の生き生きとしている顔を見て、
私と一緒に歌おうとしてるかすれてはいてもしっかりとした声を耳元で聞いて






「ああ、お母さんはまだまだ生きようとしてくれてる。
自分の好きな事に素直に反応してくれている!」





と再認識。



このまま眠る時間が増えていってしまうのかなぁ

なんて考えた自分を恥ずかしく思いました。







今の母は言ってみたら、生まれたばかりの赤ちゃんに近いのです。




知ってる顔が目の前に来るとニコニコ。


今は
毎日母に会いに行っている父。
そして週に1度は行っている私。
毎日母の世話をしてくてる担当の看護師さん。



姉は変に冷めているところがあって
「行ってもどうせわからないから特に行かない」
んだそうです。
私からしたら理解出来ませんが、彼女の選択ですから責められません。
口うるさい妹は、暇さえあれば行けよ行けよと急かしますが。。。




とにかく、


自分の安心する顔にはニコニコ。
嫌な事にはしかめっ面。
痛い、辛い時は「あー」とか「うー」とか、「やだー」とか「いたいー」と訴える。

そして大好きな事には素直に嬉しいと何かしらサインを出してくれます。
わかりやすいのは顔と声。



そう。
母は、アルツハイマー性認知症によって
人生来た道を戻りに戻って、


大きな赤ちゃんになりました。




赤ちゃんは

笑ったり
ミルクをたくさん飲んだり
手を動かしたり

それだけで
周りの人を喜ばせる生き物。


食べ物は食べさせてもらい
排出物は、好きな時に排出して人に綺麗にしてもらう。
好きは人にはニコニコ
嫌なものには泣き叫ぶ。



今の母はそんな赤ちゃんに近いといえると思います。
だってニコニコしてくれるだけでこんなに周りの人間を喜ばせるんですから。

感情深い私はおろか、
普段は短期の父も愛おしそうに母の頬を撫で、
看護師さんは「お母様は僕がくるといつもニコニコしてくれるのですごく明るい気分になれるんですよ」と笑顔で伝えてくれました。


母の笑顔が周りに伝染してる。
いい伝染病です。

もっと広がれーw!





人は究極をむかえると
至ってシンプルになる。




もしかしたら


母はまさに今、赤ちゃんのように戻って
シンプルに




ただただシンプルに



私たちに話しかけているのかもしれません。




って事は。
私が会いにくると笑うって事はやっぱり嬉しいって事だな!!!うん!
 






ああ、今日書きたかった事の手前で
一つ書き終えてしまいました。


本題はまた次回。

来週も母に会うのが楽しみです。




つづく。






 
 
 

母の床ずれの手術が無事に終わり、
術後2ヶ月以上たってようやくリハビリ病棟へ移りました。

そこはほかの認知症の患者さんを世話するケア専門の病院で、母は最初は個室へ。

しかし、
今の母はもはや歩き回ることもせず、
大きな声で騒ぐこともありません。


静かに

ただ



ベッドに寝てるだけです。



なので、問題もなく4人部屋へ。




昔初めて母が短期ステイを施設でした際、
母は歩けました。
気づけばどこかへ歩いていったり、誰もいなくても一人でずっと話してたり。

なので、大部屋は難しいと言われ、
お金は高くつくけど個室を勧められました。


ほかの患者さんとトラブルがおきたりするのを防ぐためです。

その時は、そんな。と思ったのですが


今、ベッドの上で何もしない母を見ると



逆にあの時の元気な母が恋しいです。





今は週に一度、休みを日を利用して母に会いに行っています。

手術で入院してから、


自力で食べることも、
自力で飲むことも

自力で手足を動かすことも


出来なくなってしまった母。





毎日母をたずねている父。
介護を家でしていた時はあんなに母にきつく当たっていた父。
自分で介護が出来なくなり、
床ずれの手術で母が生きるか死ぬかをさまよったのを目の当たりにした父。



ずいぶん母を見る目が変わりました。
もちろん、正直なところ、介護をしなくなった余裕もあるんだと思います。




でもふと、父と一緒に母の病室を訪れてると

約35年ずっと一緒に寄り添ってきた自分の妻を、
一体今どんな思いで見ていて、どんな気持ちなのか気になる時が多々あります。




何も出来なくなってきてしまった母。





最後に母に残っているのは




笑顔





です。



もう何を話すことはないけれど

自分の病気に苦しんだり
自分がどんどん悪化していることに悲しんだり
自分が一体どうなってしまうのか不安でたまらなくなったり



そんな辛さから母は解放されたかのように



私たちを見るとニコニコ笑う母。



時に何を思ったか、こちらが目を背けたくなるほど
じーーーーーっと目を見つめてくる母。
まっすぐな眼差しで、決して目をそらすことなく
こちらを見てくる母。


心の中で何を言っているのか
私たちに何が言いたいのか



聞きたいけれど


もう聞けない。






それでも、調子のいい日は
口を少しいつもよりも大きく開いて笑ってくれる。


つい先日のこと。
新しいシャツを着て行ったら、じっと見てくるので、
「なあに?可愛い?」
と聞くと、
「かわいいよ」
と、ふいに言ってくれた母。



今この瞬間の

母の笑顔や
母の発するわずかな言葉も

もう逃したくない。



去年まだまだ動けて、大部屋を拒否された1年前のゴールデンウィーク。
1年後、寝たきりになってる母を誰が想像したでしょうか。



父や姉がどう思ってるかはわかりません。
私は二人が忘れないように、帰省するたびに言葉にして伝えていますが。




私は1年後、母がどうなっているかもう考えられない。
今を大事にするしかないのです。

来月、再来月。
そこさえももう考えず、今の母が出来る事。




笑う事。

を、少しでも長く。
少しでも多く。


見ていきたいと思っています。




母の笑顔を失いたくない。
母の笑顔を忘れたくない。


母の声を忘れたくない。





そう、切実に思った今年の母の日。



病室には花を持っていくのはダメだと言われたため、
寝ている母の手を
姪っ子二人と一緒に握って
母のほっぺを撫でて

帰宅しました。



カーネーションは私の家の母の写真の隣に。
お母さんの好きな、優しいピンク色。




お母さん

本当にいつもいろいろ教えてくれてありがとう

あなたの子供で本当によかった
世界中の誰よりも大好きです

どうか笑顔がこれからもたくさん見れますように






世界中のお母さん達

いつもありがとう
お疲れ様です。

 
 
手術後、一週間半。

やっと母が落ち着いてきたようです。



下がらなかった熱も下がり、声にも反応するようになり
笑顔も多く見られるようになってきたとか。


掠れ声した聞こえなかった先週。
少しずつ戻ってきた母の声。

あの愛おしい母の声。
失うかもしれないと思ったら涙が止まらなかった母の笑顔。



明日、また見に行こうと思います。
自分の事も大事だけど、まずは会いたい人に会う。



後悔するのは嫌です。
時間は元に戻らないのです。



病気になってから、後悔ばかりしてきましたが
学んだ事もたくさんあります。


その一つが、回復する事はない。
だから今が大事。

今出来る事が明日出来るとは限らないという事。
残酷ですが現実として受け止めなければなりません。



12月の頭まで歩いていた母が、二週目に風邪をこじらせ
熱があったので一週間ちょいベッドで寝ていたらそのまま寝たきりになってしまったんです。

ベッドで自分で寝返りうてたのに、検査のために数日入院したら寝返りうたなくなりました。
寝返りうてなくなって、床ずれが出来て、そのまま褥瘡が悪化。



あまりにもひどい褥瘡に再度最初の病院に行ったら何も処置してもらえなかったのに
それでもひどくなる褥瘡に、救急で地元の病院に行ったらあまりのひどさに即入院で即手術。


最初の病院で処置を正しくしてもらえていたら。
薬を変えていてもらえていたら。
もっと早めに手術をしてもらえていたら。


母はこんなに苦しまずに済んだ。
生死をさまようような大手術をしなくて済んだ。



全ては正しいお医者さんに診てもらうことです。
後悔しないために。

必ずセカンドオピニオンを。




今日出来る事は明日出来るとは限らない。


後悔しないために。




今ある瞬間瞬間を大切に。
一緒にいられる時間を大切に。



どうか患者さんを抱えるご家族や周りの方々、忘れないでください。




時間が戻らない事。
甘えがちだけど、忘れないでおこう。
私も、私の家族も。


さ、明日も笑顔で母に会いに行こう。