里帰りから帰宅したら

ロマネスコの花が咲いていましたちょうちょ


こちらは"かつお菜"の花。魚しっぽ魚あたま

春の花は黄色が多いのでしょうか照れイエローハーツ

姫りんごの花ももうすぐりんご乙女のトキメキ








先日の18日

父が亡くなりました。




葬儀も終え

今は壺に入って実家の祭壇に

ちんまり置かれてますプレゼントハートピンク薔薇


昨年11月に入院して以来

微熱や炎症反応が続き

自宅にも帰れず

受け入れ先の病院や施設探しが

大変で


年末にリハビリ病院に転院

2月末にやっと特養に入れたものの

10日も経たず再入院。


食欲不振、微熱

低カリウム血症

酸素吸入に胸水


かなり弱っていたものの

もう少し大丈夫かな?って

たぶん医師も思っていたところへ

急変。



夜7時の着替えでは

ナースにありがとう、悪いね。

と会話をしていたのに


その後間もなく

ストーンと落ちるように

すーっと眠るように


連絡を受けて

家族が駆け付けた8時過ぎには

すでに意識が無く

9時ころ死亡が確認されてしまった。



千葉から夫と駆け付けた時には

死後の処理が終わっていて


ずっと帰りたかった家に帰って

みんなとやっと

ゆっくり会えた。



入院してから

コロナの影響で

転院や特養入居の移動の時以外

家族は

ほとんど会えなかったものの



今月13日に面会が再開されて

たまたま帰省していた私と

母とで

亡くなる2日前面会出来て



もう娘の顔は忘れたかもしれないと

覚悟して臨んだ面会は


忘れるどころか

まるで実家のコタツを囲んで

いつもの席で話をしているような

錯覚を起こすくらい

普通に話せて


体は辛そうだけど

案外元気でした


などと呑気に報告したほどニコニコアセアセ




面会で私は

5ヶ月間の溜まりに溜まったお父さん愛を

存分にぶちまけ


お父さん会いたかったよーーーーー!


と、肩を抱いてさすって

喜びを伝え

なんだかんだ話は弾み


父は家族一人ひとりの名前を言って

みんなのお陰で幸せだ

と言い


母の祖父に、母をお嫁に貰えなかったら

富士川に飛び込むと言った(冗談)話や


この年まで生きて来たんだもの

あちこち悪くて当たり前だよ

という

お馴染みのセリフも出て


3人で笑って


父の満面の笑みも見られて

あの笑顔

目尻にシワを沢山作って笑う

あの嬉しそうな目が

私の瞼に焼きついてる。



鼻には酸素チューブ

足には点滴の管で

声にも力が無くて

かなり状態は悪かったけど


自分の両手の手のひらを見ながら

この手でいろんなことを

乗り越えてきたから。頑張る。

などと言い

来月は91歳の誕生日だからね

などと言っていた。



足裏をリフレクソロジーの真似事で

軽くマッサージしながら

痛くない?って何度も聞くと

その度

痛くない。つねってもいいよ。

と言った。

その声も覚えている。



そして面会の間中ずっと、じーーーと

少し困るくらいじーーーーーーーと

私の顔を見ていた父は


その時すでに虹の橋のたもとあたり

行ったり来たり

していたのかもしれない。




面会再開とは言え

一週間開けないといけないルールがあり

次は弟たち、次は、、と

相談していたのに

突然の急変。




高齢なので

もう10年ほど前から

帰省のたび

いつこれが最後にならないとも限らないと

覚悟はずっとあったけれど

、、、、、


やはり言葉は伝えられるうちに

伝えないといけなかった。





大切に育ててくれてありがとう。

お父さん大好きだよ。




時すでに遅しだったけれど

実家に安置されてる間も

葬儀の時も


言いまくったし

顔や手を

触りまくった。

だって最後だから。




田舎の人で

声が大きくて元気で明るかった父。




お父さんの分まで私も

明るく元気に生きようと思ってる。



うめちゃん桜


ちょっと老いが加速してますがショボーンタラー

うめちゃんは

まだ行かないで欲しいニコニコスター





下矢印

チラッと

亡くなった父写ってます。


苦手な方はここまでで。

ごめんなさいお願い流れ星








ハートハートハートハートハート

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