3月14日(月)
AM08:15-
計画停電の情報が知りたく.....チャンネルを変えながらテレビを観ている。
テレビが素敵で怖いのは、視覚と聴覚を要するからだ。
聴覚だけなら流せる話も、視覚が加わると気に障ったりする。
こんな時でなければ、素敵に映るモノが.....だ。
今日という一日を.....正義の味方にならない日に決めた。
語弊があるかもしれないが、事実、わたしは正義の味方でもないし、資格も許容も教養もない。
とはいえ、このような状況下に陥ると、どこかで正義を謳いたくなる自分が出て来たりする。
が、時に正義感は苛立ちであったり、疑心であったり、無駄な怒りを生んだりする。
今のわたしが、怒りを覚えている場合ではない。
被災地から遠く離れたところで、普段通りに四兄弟を散歩させているわたしに、この件に於いて、そこまでの怒りを有する資格はない。
我々の業界でも.....例えば大きな役を頂いた時、頑張り過ぎてしまう時がある。
これだけ重要な役を頂いたんだから、頑張らなきゃ!
至極真っ当な感情だが、頑張り過ぎることが作品の、視聴者への居心地の良さに繋がるかといえば、そうでもなかったりする。
だって、役が大きかろうが小さかろうが.....というか、スタッフのみなさんの方がよほど労力を払っているわけで、役者の労力などたかが知れているのだ。
その【たかが】の労力を、スタッフの方々と同等になんとか近づけるには、有り得ないほどの待ち時間を有効に過ごしたり、どれだけ待ち時間があっても、呼ばれたら即テンションを合わせたり.....。
なにも仕事は、映った時のみとは限らない。
卑屈フェチのわたしに言わせれば、役者などという職業は【しょせん】のモノなのである。
所詮は、様々な人々の下支えがあって、輝きを増す。
所詮であることを自覚すれば、おのずと自身の仕事は見えてくる。
今、この時.....わたしは間違いなく【しょせん】の日本人である。
被災されている方は、満足な情報を得られていない。
が、所詮のわたしは、何故か中途半端な情報を得られてしまっているのだ。
だからこそ、正義の味方にならないように努めようとおもう。
所詮な立場なりの、佇み方に努めたい。
安易に他人を批判するのではなく、助言であったり応援する気持ちを持ち続けたい。
原発問題であったり、計画停電に関する通達の不備であったり.....。
文句を言おうとおもえばいくらでも出てくるが、わたしに文句を言える資格はない。
文句を言う暇があったら、それ等のおかげで迷惑をこうむった方々に、心の中で「ごめんなさい」と、それこそ実質的当事者ではないが、謝り続ける一日に務めたいのである。
「ごめんなさい」
被災者のみなさんは、たくさん憤って、たくさん文句を言って下さい。
行政の不備は、腐るほどあります。
ですが、こうなった以上、行政の不備はすなわち、わたし達の罪でもあります。
「ごめんなさい」