大ちゃんの幼稚園のお迎え、同じクラスの子達のママさんが2歳児らしき下の子を連れて迎えに来てるのが本当にしんどい。
最初の頃は、大丈夫大丈夫!私は私。あのママはあのママ。仕方ない!って言い聞かせていて、平気なフリして、何歳ですかー?とか聞いたりしてさ、そりゃ2歳だよなー、みてわかるわ。こうちゃんと一緒だなー。


母さんにたまーに大ちゃんの迎え頼むんだけど、母さんも下の子連れてるママさんみるの辛いらしい。私と同じ気持ちなのは、やっぱり母さんだけだよね。


最近は心がもろくなってんのかな?
流産したせい?
私ってもう妊娠するの無理なのかな?とか
めちゃくちゃ色々わけわかんなくて、

こうちゃんさえ、いたら別にもう妊娠できなくても、まー2人でいっかー!とか思えたし。

31歳で子供産み終えたから、とりあえず子宮か卵巣か乳がん系になったら全摘でいいやーみたいなことまで考えてた。

なんかもう自分の中で子供2人出来て、あー安泰。あとはひたすら仕事やら育児やらを頑張っていけばいいだけ!そう思ってた。

やっぱり悔しい。
命さえ助かれば、
なぜあんなに尊い愛おしい大切な人を
失わなければならない人生なんだろうか


考えないように
考えないように
しようとしても
やっぱりダメ

そう思っても、やっぱり考えてしまう



2階の寝室の布団を1人分片付けた
パパは最近一階で寝るから、
こうちゃんが寝ていたスペース

寝室の布団は
私と大ちゃんの2枚になった
広いな
寂しいな


やっぱりこの先の人生、
乗り越えるとかそういうことは出来ない
弱いのかもしれないのは分かってる

でも私の人生に功誠という人間がいないという事実を本当の意味で受け入れたりして、生きることは出来ない

言い方は本当に悪いけど、死産や流産や親が亡くなるのとは、意味が違う。同じ命ではあるけど、2歳という生きることが出来たあの命を私が守れなかった。守れたはずなのに、生きれたはずなのに、生きていたのに、亡くなったという理解はまだ出来ない。


なんなんだろうね、この苦しみは。
鼻水垂れ流して、いっぱい泣いたらいいだけなのか。ただただ苦しい。

あ、今度震災で子を亡くした親の語り部ツアーでもいってみようかな。