1972年1月6日 遠山美枝子を逆エビに縛る |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

(遠山美枝子に対する追及は拷問そのものだった)
連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-連合赤軍 遠山美枝子 顔写真


 森は、行方氏を追及している最中に、遠山が、「お母さん、美枝子は革命戦士になって頑張るわ」「美枝子は今にお母さんを仕合わせにするから待っててね」と繰り返しいってたことを追求し始めた。


■「そうです。芝居でした」(遠山美枝子)

 行方氏を調べ終えると、森氏は植垣氏ら3人に、「遠山の縄をほどいてこっちに連れてこい」と指示した。(中略)
 「さっき、何であんなことをいった。芝居だったんとちゃうか」
 遠山さんが黙っていると、皆が「何で黙っているんだ」といった。

 皆は、この頃から遠山さんをこずいたり殴ったりしたらしい。遠山さんをぐるりと取り囲んだ輪のうしろにいた私にはわからなかった。そういうなかで、遠山さんは答えた。
「そうです。芝居でした」
「どうして、そんな芝居をしたんだ」
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 遠山は、父が自殺して母が苦労して育ててくれたこと、それでいつか母を仕合わせにしようと思って、階級闘争をやってきたことを語った。

 追求の終わりごろ、男性関係についても追及された。


「明大時代、誰がすきだったんや」
遠山さんは最初は黙っていた。すると、取り囲んだものが、「何とかいえ!」「おい、どうした。早くしゃべれ!」などといった。遠山さんは、しぶしぶという感じで、「サークルの部長です」といった。
「赤軍派に入ってからは?」
「高原です」
「合法時代はどうだったんや」
遠山さんはしばらく答えようとしなかった。そのため、周りのものから一斉にあれこれいわれ、そのうち、2人の男性と関係をもったことをいった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


■「おやじさんが好きだったの」(遠山美枝子)

 森氏の追及が終わったあと時、遠山さんは、ポツンと、「おやじさん(森氏)が好きだったの」といった。森氏は、この発言にニヤニヤする態度をとった。
 それは、それまでの遠山さんに対しての態度とあまりにも違ったものであった。遠山さんが森氏にそのようにいうことによって総括要求を回避しようとしていると思い、また、それにたいして森氏がまじめに彼女に総括させようとしていないと思い、「やっぱりそういうのはわかっていた」と批判した。
 私は、森氏が遠山さんにたいしてただ激しい暴力的総括を果しているだけで、本当に総括させようとしているとは思えなかったのである。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 ところが、森氏は何を勘違いしたのか遠山さんにたいして怒り出し、彼女を殴りながら追求した。
「おまえ、俺をいつから好きだったんだ」
「明大の寮にきた時からです」
「うそつけ!あのころはオバQだったんとちゃうか。俺よりもオバQのほうが偉かったんだぞ」
「はい、そうです」
「それなら、いつから俺を好きになったんだ」
「南アルプスからです」
「この野郎!」
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 この追求は、無実の容疑者が、取調官に恫喝され、検察側のシナリオにそって「白状」してしまうケースにそっくりだ。シナリオと違えば「ウソ」であり、「正解」になるまで尋問は続けられる。


 森のシナリオは、遠山は常に権力のある者を好きになることによって高い地位を得ようとした、つまり女を売りにして男を利用してきた、というものである。だから、遠山が森を好きになったのは、森がトップである南アルプスの時点でなければならなかったのである。


 なお、このシナリオは永田も一致していたようだ。坂口によれば永田は、「あなたは偉い人ばかり好きなのね」と皮肉をいったそうである。


■「男と寝たときみたいに足を広げろ」(寺岡恒一) 「そういうのは矮小よ!」(永田洋子)

 そのあと、森氏は、「遠山も行方と同じように殴って縛れ」と指示した。私たちは遠山さんをうつぶせにし、まず肩甲骨を肘で殴り、続いて大腿部をまきで思いっきり殴った。遠山さんは悲鳴をあげたが、私たちはそれを無視した。


 殴り終わって逆エビに縛ろうとすると、森氏が、「遠山の足の間にまきを挟んで縛れ」といった。それで、まきをひざの裏に挟んで足を折り曲げさせたが、その際、寺岡氏が、「男と寝たときみたいに足を広げろ」といった。


 これに私たちは笑ったが、女性たちは一様にいやな顔をし、永田さんが、「そういうのは矮小よ!」と批判した。私たちはあわてて笑うのを止めたが、行方氏、遠山さんへの激しい暴行は、私たちの気持ちをすさませ、より残酷で下劣なものにしてしまっていたのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


 なぜ、森は、「遠山の足の間にまきを挟んで縛れ」といったのかというと、「女らしい様子をさせないため」(森)だそうだ。おそらく、少し前に永田が、遠山が女らしいしぐさで足を崩して座っていたことを咎めたからだと思われる。


 このように森は永田のいったことをよく覚えていて、わりとよく 「対処」 をするのである。


 こうして遠山さんは、3日の朝に縛られて以来、水も食事も与えられないまま、ここへ来て逆えび型に縛られ全く身動きできなくされてしまった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 遠山さんも行方氏もぐったりしていた。私は、この激しい殴打に、そこまでやらなくてはならないのかといささかたじろぎ、その反面、やられっぱなしの2人がなんともふがいないものを感じ、どうして総括を放棄してしまうような態度を取るのか、もっとシャキッとできないのか、何とか頑張ってくれという思いもあったのである。
(植垣康博・「兵士たちの連合赤軍」)


■「涙を流して泣いてみろ、涙すらない冷酷な人間だとバトウした」(森恒夫)

 この時には、彼女が私を好きだということでロープを解いてもらおうとしているということと、階級闘争の中で男性を手段としてきているということが結合して、彼女に対する怒りとして放たれ、彼女が何人かの男性の名をあげた事に対して、我々は余りにハレンチだとして彼女を殴ったり、足げにしたりした。そして、本当に自分のことを情けなく思っているのなら、涙を流して泣いてみろ、涙すらない冷酷な人間だ(彼女がかつて自分は泣けないと云ったことを押さえて)とバトウしたのである。
(森恒夫・「自己批判書」 句読点修正)


 森は、遠山に小嶋の死体を埋めさせたとき から、一貫して、「遠山がどうしようもなく泣き出したりすることが総括の基準」と考えていたのである。


 どうやら、共同軍事訓練の最終日 に、森自身が総括を述べたとき、涙を流した体験と結びつけて考えているようだ。


■「寺岡は女性蔑視だ」(森恒夫)

 このあと、中央委員会を開いたが、そこで、森氏は、「寺岡君が『男と寝たときみたいに足を広げろ』といったのは、女性蔑視だ」と「真面目」な面持ちで批判した。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 「真面目」とカッコつきなのは、寺岡の言葉に男性たちはみな笑ったのに、あたかも、寺岡個人の問題であり、自分は無縁であるかのようにふるまった森への皮肉である。


 森は、永田の批判に、寺岡をスケープゴートにして面目を保とうとしたようだ。


 森氏は続いて、「殲滅戦のための準備のための活動を開始しよう」といって、井川ベースの整理、名古屋にいるF・Kさんらを連れてくること、東京での若干の活動、山岳調査などの必要をいった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


 F・Kとは殺害した小嶋和子の妹である。連れてこようと考えるとは、どういう神経であろうか。


■「女の革命家から革命化の女へ」(森恒夫)

 全体会議で、森は「女の革命家から革命化の女へ」という定式の説明を行った。


「共産主義化されないまま、女が男と関係をとり結ぶのは、それまでの生活を通して身に着けたブルジョア的な男性観にもとづいたものであり、こうした傾向を止揚しない限り女の革命戦士化はかちとれない」と述べた。
 この説明に私はなるほどと思った。そのあと、森氏は、大槻さんと金子さんにたいして、銃による殲滅戦を準備する闘いに向けて早く総括すべきだといった。
(永田洋子・「十六の墓標(下)」)


その後役割が決められた。


井川ベースの整理は、山崎、寺林、中村、山本保子の3人。
名古屋にF・Kを呼びに行くのは、岩田、伊藤。
東京に行くのは前沢、青砥。


■独裁体制とメンバーの思考停止

 遠山への批判は、共同軍事訓練のときからずっと続いている。いつも永田の批判がきっかけとなり、森がそのあとを引き受けて追求した。よく注意してみると、森の批判は永田のそれとは別物であるが、永田は、森の批判に同調してしまうのだから、2人の関係はややこしい。


 森の過酷な追求によって、遠山は、それに迎合する告白をしてしまった。なんとか追求から逃れようとしたのだろうが、どのように答えても、批判され、人格を破壊されていくのである。あまりに残酷で拷問としかいいようがない。


 他のメンバーは、威勢はいいものの、せいぜい、「おい、どうした」 「黙ってないで何とかいえ」 という掛け声しか発することができなかった。すでに思考停止状態であり、森と永田の側に身を寄せることが精一杯だった。すべての判断は森と永田の専権事項になっていたのである。これを独裁という。


 いったん独裁体制が確立してしまうと、独裁者が自ら踏みとどまったり、引き返したりすることはない。事実、同志殺害は、森と永田が権力の手中に落ちるまで続くのである。