■1970年6月4日 獄中の塩見孝也が転向(毎日)
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塩見転向のニュースは毎日だけが取り上げた。当時においては「転向」することが判決に影響したし、保釈にも有利に働いていた。そのため偽装転向する活動家が多かったから、いかにもありそうな話なのだが、本人に言わせるとこうなる。
そんなとき「僕が転向した」というデマがパーっと流れたことがあったんです。
この問題については、これは自己批判になるけれど、僕は取調べで、一時とにかく弁解したんです。「自分は"よど号"の起こる2週間前に逮捕されている。だから、俺をそういうので起訴するとか、取り調べるのもおかしい」。まあそういうことをしゃべったんです。「完全黙秘」という原則からいくと、これは全くナンセンスで弁解の余地のない対応なんだけど、それをもって「塩見はしゃべった、転向した」という話がバンバン出てしまった。その後弁護士が来たりして、また僕は「完全黙秘」という形をとった。
(「赤軍派始末記」)
この問題については、これは自己批判になるけれど、僕は取調べで、一時とにかく弁解したんです。「自分は"よど号"の起こる2週間前に逮捕されている。だから、俺をそういうので起訴するとか、取り調べるのもおかしい」。まあそういうことをしゃべったんです。「完全黙秘」という原則からいくと、これは全くナンセンスで弁解の余地のない対応なんだけど、それをもって「塩見はしゃべった、転向した」という話がバンバン出てしまった。その後弁護士が来たりして、また僕は「完全黙秘」という形をとった。
(「赤軍派始末記」)