1972年3月25日 吉野雅邦同行し、向山茂樹、早岐やす子の遺体発掘 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

 この日は久しぶりに連合赤軍事件が紙面を埋めた。向山、早岐の遺体発掘で計14名の殺害が明らかにされた。ただし、向山、早岐の殺害は、連合赤軍になる前の京浜安保共闘(革命左派、永田・坂口のグループ)の単独の犯行である。


■読売朝刊1面
なんと新聞タイトルの横に向山、早岐の写真・・・大変めずらしいレイアウトだ。

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■向山と早岐「一杯飲もう」と連れ出す(毎日)

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連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-連合赤軍 向山と早岐殺害経緯


 2人は「共産主義化」の論理ではなく、純粋に逃亡者の抹消のために殺意を持って殺された。 このとき車の運転をさせられた小嶋和子は激しく動揺し、しばらく精神が不安定になってしまう。連合赤軍になってから全体会議で「2人(の殺害)のときに、いてよかった」と発言したところ、森から「そんなこと言っていいのか!」と怒鳴られてしまった。

■向山 処刑の前に転向の手紙(読売)
 向山は昨年6月6日、親類宅にやせ細った体で現れ、そこから「運動はやめた。下宿を探したいから金を送ってほしい」と実家に連絡してきた。3日後に母親と会うと「これまで山にいた。幹部のやることはわからない。もう運動はやめる」と約束。7月11日になって「あすことは縁を切る」と組織から抜ける決意をみせたたよりを送ってきた。そして練馬のアパートに落ち着き、8月10日、弟が向かい大和新宿で会うために上京したが、向山は同朝「弟を迎えにいけなくなったので代わりに新宿駅に行ってほしい」と親類にことづけの電話をし、そのまま、ブツリ消息を断った。


 消息を断ったのは8月10日に殺害計画のもと杉崎ミサ子と大槻節子が向山を呼び出し酒を飲まそうとしたためであった。その後寺岡恒一、吉野雅邦、金子みちよらが加わってタオルでクビをしめ殺害する。永田は寺岡から電話での報告を受け終わり、喫茶店から出たところで気を失い、アーケードの側溝に倒れこんでしまった。この夜、杉崎、金子、大槻の3人(横浜国大教育学部の同級生)は徹夜で話し合い、翌日永田に説明を求めている。


■ 二つの墓に焼香 吉野涙でくしゃくしゃ(朝日夕刊)
 吉野雅邦は千葉県・印旛沼のほとりの現場で泣いた。「焼香させてくれ」と花をたむけ、涙で顔をくしゃくしゃにした。浅間山荘で逮捕されたときの阿修羅(あしゅら)のような形相はもうなかった。どこにでもいる若者の姿だが、両手には手錠が光っていた。


 車から降りたとき報道陣や付近の住民ら100人ほどがどっと取り囲んだが、吉野はこのときほとんど無表情。「この辺だ」と車を止め「わたしも出て見たい」といった。そこには、1メートルほどの木の枝が埋まりかけていたが「えだは前からありました・・・」。そして「早岐さんです」といった。


 向山を埋めたところは、しばらく考え込んだあと、20メートルほど離れた地点をさし「間違いなくここです」といった。そして、いったん車に戻ったとき、捜査員に「お願いしにくいが、私の気持ちも含めてお花をあげてもらいたい」といった。捜査員が「それなら」と白い菊と赤いカーネーションを、線香二束を渡すと、「ありがとうございます」と丁寧な口調で、車を降りた。 花を手向けるとほとんど無表情だった吉野の顔に涙がにじみ、くしゃくしゃにくずれた。


■暴走生んだ殺しの原点(読売)
 (向山、早岐の殺害について) 「山岳アジト、銃の隠し場所がばれる」というのも、まっ殺の大きな理由には違いないが、いよいよ合同という"大事業"を前に、こんなことで弱みを赤軍派ににぎられたくない、という心理も大きく働いていた-当局ではこう分析している。


 丹沢アジトで両派がドッキングしたとき、永田洋子ら京浜安保共闘幹部は、森恒夫ら赤軍は幹部に「脱走者がでたので2人を殺した」とわざわざ誇らしげに"報告"していた。それを聞いた赤軍メンバーは「すごい組織と感じた」(青砥幹夫の自供)という。女ボス永田の異常な自己顕示欲、赤軍に対する"背伸び"-これが連続虐殺の原点だった。 永田の一言は、その後の"軍団"に重く、暗くのしかかったにちがいない。脱落者は殺す、という原型ができあがった。それはリンチを招いた。


 この論考は的を得ている。革命左派による2人の殺害が、連合赤軍の主導権をとろうとする赤軍派のリーダー・森恒夫にとって大きなプレッシャーとなり、より過激な行動に走らせたと思われる。読売夕刊には「連合赤軍総括座談会」という記者の座談会が掲載されているが、同じような内容が語られている。


■「殺しの相関図」(読売夕刊)

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連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-連合赤軍 殺しの相関図

 連合赤軍事件の特異なところは、被害者と加害者の境界がはっきりしないことだ。表をみてもわかるように、殺された者たちはそれまでは殺す側にいた。マスコミは殺された者を好意的に報道し、生き残った者を悪魔のようにあつかったが、両者の間に境界線はないのである。しかも、殺された者たちの総括理由は誰にでも当てはまるようなものでしかなかった。


■その他の記事
・吉野は早岐、向山の殺害の共犯者について「自分の口からは言えない」と語った。(朝日)
・吉野の自供を聞いた坂口はかなり動揺し「オレもいう日が来たら全部いう」とほのめかした。(朝日)
・真岡猟銃強奪の尾崎康夫と中島謝平に懲役9年の判決が下った。(読売)
・永田ら6人が昨年1月末から1ヶ月間、札幌市内に隠れ住んでいたことが判明。(読売)