1972年3月23日 森恒夫と永田洋子逮捕の真相 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

■妙義山2人ぽっち 森と永田逮捕の真相(毎日)

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連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)-1972-03-23 毎日 朝刊18 森と永田逮捕の真相


 「森と永田逮捕の真相」と見出しをつけているが、単なる憶測記事にすぎず、しかも大はずれ。読売にも「都内に資金アジト?」という見出しで同じ内容の記事が載っているところをみると当局が発表したものとみられる。森と永田は手入れ情報を知らないどころか、知ったからこそ現場に舞い戻ったのであった。それが正しい判断かどうかは別にして。


 2月15日の朝、朝刊を見て、榛名ベースが発見され、そのまわりに捜査網がしかれたことを知った。このことに私たちは大いに危機感をもち、直ちに妙義山のベースへ行き、みなと一緒にこの困難を乗り越えることにした。(「十六の墓標(下)」)


■ナゾの陰に京谷 上京の森らと接触か(朝日)
 森・永田らが逮捕直前「東京へ行っていた」ことなどいくつかの謎をを調べているが、さきに銃刀法違反の疑いで警視庁に逮捕されていた東京水産大学生、京浜安保共闘の京谷健司(24)がカナメ役をしていたのではないか、との疑いを深めた。


 群馬県警がいままで謎としてきたのは、
(1)森と永田は逮捕時にあわせて400万円前後の大金を持っていた。
(2)頼良ちゃんと姿を消した中村が出頭するまでどこに隠れていたか不明。持っていたはずの50万~100万も「東京で救対センターの関係者に返した」というだけで、詳しい自供はしたがらない。
(3)日ほど前、森恒夫が係官に対し「自衛隊の沖縄移駐にからんで九州のほうで変わったことはなかったか」としきりにたずねたので「何もなかった。国会で問題になっている」と答えたところ、森は「あいつらは腰抜けどもだ」といい、森らが自衛隊移駐の動きにあわせて九州など極左集団と連絡し、何かの行動を計画していたようなことをにおわせている。


 こうした彼らの謎めいた言動について群馬県警が京谷に疑いを持っているのは、(1)京谷は主として東京にいて救対センターなどの後方面で活動をつづけている。(2)京谷の指紋が森らの逮捕された妙義山アジトから押収されたガリ版刷りの印刷物から検出された、などの理由からだ。


 京谷健司は、愛知外相の訪米訪ソ阻止のため坂口、吉野らと羽田空港滑走路に火炎瓶を投げたメンバー。その後しばらく活動から離れ、再び後方支援に戻ったようだ。


 京谷は「おかしい、向山、早岐がいない」と山岳ベースを不審に感じていた。だから夫人が山に行くことに反対していたのだが、夫人は前沢虎義に連れられ、丹沢ベースへ向かってしまう。ところが小田急線の中で急にお腹が痛くなってしまい、「ちょっと休みます」と途中下車した。不思議なことに前沢は一緒に下車せず、そこで別れてしまった。おかげで夫人は命拾いしたことになる。人がいいといわれる前澤は内心ほっとしたのかもしれない。


■その他の記事
・警視庁は"爆弾男"梅内がRG(エルゲー)派とドッキングしていたという情報を得た。(読売夕刊)
・連合赤軍結成前、埼玉県境の某山ろくで坂口・永田ら最高幹部数人で最高会議を開いていた。(朝日)