1972年3月18日 法廷でも永田批判 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

法廷でも永田批判 交番襲撃の渡辺 独断・二枚舌・反革命(朝日夕刊)
 「私の妻であった同志は誕生日を目前に飢えと寒さの中で殺された。どんなに苦しかった考えるだけで頭はおかしくなってくる。永田らの反革命的行為を私は断じて許さない」


 渡辺正則(24)は法廷で訴えた。同被告はリンチの末凍死した大槻節子(24)と内縁関係にあったといわれているが、この日の法廷で、悲しみ、憎しみを訴えたあと、約一時間、連合赤軍幹部を糾弾する意見陳述を行った。


 「私がかつて組織にいたときは和気あいあいとしていた。永田は寺岡同志に独断行為があったとして死刑にしたというが、当時永田は寺岡を上回る独断を何度かやっている。そういう理由なら永田の方がすでに殺されているべきである。正しい意見を主張する同志はいたが、組織を私物化する永田・坂口らが二枚舌を使って無視し続けた。ここに今回の大量リンチ事件にいたる根源がすでにあった。


 追い詰められて飢えと寒さが虐殺を引き起こしたと分析するものもいるが、むしろ政治路線、思想の違う赤軍と合流するという永田らリーダーの指導方針に異論を持ち、闘争に積極的になれなかった大槻同士らをなぶり殺しにしていったのが真相だ」と述べた。 傍聴席はわずか5~6人。静かに聞き入った。


 獄中からの批判が相次いでいる。渡辺は恋人の大槻節子が殺されているだけに永田への感情があらわになっている。渡辺は上赤塚交番襲撃事件で警官に撃たれ負傷、起訴されていたが、もし逮捕されていなかったら連合赤軍に合流していただろう。連合赤軍のメンバーはもとより特別な意思を持って山に集結したのではなく、偶然残っていたメンバーたちなのである。


■森が指揮、赤軍の犯行 明治公園爆弾事件 青砥、植垣が自供(朝日夕刊)

 昨年6月17日の明治公園爆弾事件について青砥は「同事件に関係したものは数人で、自分と植垣が1個ずつ爆弾を持っており、植垣の投げた爆弾が破裂した」と自供した。植垣は爆弾を作ったが投げたのは否認している。


 「明治公園爆弾事件」とは沖縄返還調印式の1971年6月18日に、反対するデモのメンバーが警備の機動隊に鉄パイプ爆弾で26名を負傷させた事件。当時から赤軍派の犯行とみられていた。


■過激派(青砥・植垣)"変身"スラスラ自供 整髪にも注文(朝日夕刊)
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連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ粛清事件、新聞記事)-1972ー03-18 朝日 夕刊11


このエピソードは2人の性格がよく表われていると思われる。


■女装して買い物(毎日)
 森恒夫は、リンチ殺人の動機を追及され「同志を殺害したことが犯罪と言うなら革命に成功した人たちはみんな犯罪者だ」と口を閉ざした。しかし都内でのアジト生活ぶりについてはいかにも楽しげに「アパートを借りるときはかならず男女2人に新婚を装わせた。 他のメンバーが、そのアジトにはいっても、アパートの共同便所などには入らず、押入れにもぐりこんで寝た。大勢が集まるときは、夜中までマージャンの音を立てて、周囲の人たちにマージャン遊びを装った。買い物に外出するときは男が女のかつら、パンタロン、つけまつげ、めがねなどを使って女装した」と話していた。


■土田部長夫人爆殺など 梅内グループの犯行か(毎日)
 取調べを受けている少年(16)は17日「梅内恒夫は別行動をとり、連合赤軍と関係していない」と供述した。少年は連合赤軍が山岳味と活動をはじめた最初から参加しており、ここで森恒夫ら赤軍幹部から埋め内が森グループらとわかれ、別行動をとっていることを聞いたという。こうしたことから土田部長夫人爆殺まど一連の爆弾事件は梅内グループという見方が出ていた。


 梅内恒夫は福島医大生で、赤軍派で爆弾製造をしていた。青砥や植垣の爆弾製造の師匠である。



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明治公園爆弾事件は森の指揮による赤軍派の犯行と青砥・植垣が自供(朝日)
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