1972年3月2日 泰子さん初の会見 「やっぱりこわかった」 |   連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ殺人事件、新聞記事)

■土田邸爆殺・ツリー爆弾 連合赤軍の犯行(朝日)
 妙義山穴倉アジトから押収したアジビラから、昨年くれの土田邸爆殺事件、クリスマスツリー爆弾事件が連合赤軍の犯行であるとの有力な手がかりをつかんだ。このアジビラには「土田部長は上赤塚交番事件後、射殺は正当だ、と公言しており許せない、射殺した警官には復しゅうを」と激しくアジっている。

 また、押収した都内23区の地図には70箇所ぐらい○や×が記入されていたが、ツリー爆弾がしかけられた新宿の追分交番を始め、警察署、交番など警察施設の存在場所と一致した。特に◎の着いていた場所が、土田邸の所在地であることが明らかになった。このため土田邸爆殺事件、クリスマスツリー爆弾事件が連合赤軍によるものであることは間違いないとみている。


この2つの事件は連合赤軍によるものではない。


■読者の広場「踊らされたピエロたち」(毎日)

 最高教育を受けた彼らが雪の中で叫び続ける母の声にも耳をかさず、自己の行為が自らうたう人権尊重の道に即すや否やも弁じえぬ人間に成り下がってしまったことをあわれに思う。

 文化人と称する学者の言論が思想界をリードしてきたことは事実であろう。そして、それを奉ずる一部の教師たちが戦後の子供を教えてきた。大学生まで成長してきた時から学園紛争は高まっていった。問題の学生たちにしても、背後で光源となり、そそのかした指導者の単なる影の一部に過ぎないことを悟るべきである。彼らはピエロであるだけに、あわれでならない。

 原因なくして結果なし。いまこそ国民がエリを正して知育、徳育の両輪の重みをかみしめ、陰の人に振り回されるの愚を繰りかえさぬよう、目覚めるときではあるまいか。(47歳・会社員・大阪市)


■やっぱりこわかった 泰子さん話す(朝日・夕刊)

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連合赤軍事件スクラップブック (あさま山荘事件、リンチ粛清事件)-1972-03-02 朝日 夕刊09

各紙の記事をチェックしたが、泰子さんは「やっぱりこわかった」とは発言していない。にもかかわらず見出しに「やっぱり」と付け加えられたのは、先日の泰子さんの正直なインタビューの回答に対し、批判の声があがったことを背景としている。


泰子さんの名誉のために書いておくが、

当初、「私を盾にして脱出したりしないでください」と言っていた泰子さんが、内田警視が被弾したことがラジオで放送されたとき、「銃を発砲しないでください!人を殺したりしないでください!私を盾にしても外に出て行ってください!」と必死に訴えているのである(「あさま山荘1972(下)」)。


■その他の記事
「人質罪」作りたいと警察庁が表明した。(毎日)
茨城・福島県境にアジトがあるとみて捜査を開始。奥沢修一(22)は「茨城方面にも行ったことがある」と微妙な自供をしている。(毎日)