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- X(旧Twitter):ちょっとした雑談
- note:しっかりめの雑談
- カクヨム:小説
少し前に予告していた
「シャルル七世(12歳)の手紙」について
カクヨムにて、
第五章〈ニシンの戦い〉編が完結したので、
章間の閑話コラムを公開しました。
三部作になりましたが、今回で完結。
(1)で、幼少期のシャルルさん(12歳)が
兄の王太子・ギュイエンヌ公に送った手紙を翻訳。
(2)と(3)は、
「勝利王の書斎」モードで解説編になります。
紹介を兼ねて(3)冒頭から一部引用します
手紙ひとつで3話分も使うのは正直だるいが、
今回の更新でけじめをつけて新章に突入したい。
余談:書簡集によると、
シャルル七世が戦争遂行に消極的だったのは
「心身が疲れるから=だるい」なのだが、
城ひとつ落とすのに一ヶ月から数ヶ月かかるところを、
シャルル七世は一年で城60ヶ所攻略している。
勝利王と呼ばれるだけあって、ただの怠け者ではない。
いわゆる「やる気のない有能」タイプなのかもしれない。
私がちょくちょく、さまざまなことで
めんどくさいなぁ…となる心境と同じなのかも。
ただし、有能ではない。
1415年10月25日、アジャンクールの戦いの結末について簡単におさらいしよう。
フランス軍の戦力は2万人。うち、死者は1万人。
イングランド軍の戦力は7000人。うち、使者は112人。
イングランド軍はアルフルール上陸と包囲戦を経て、万全ではなかった。にもかかわらず、フランス軍は三倍の戦力を保有しながら、歴史的な大敗を喫した。
本題の「シャルル七世が兄の王太子(ギュイエンヌ公)に送った手紙」は、アジャンクールの一ヶ月後に書かれたものだ。
続きはカクヨムにて。
X(旧Twitter)でもポストしましたが
この手紙が書かれた背景を知ると、
シャルル王子12歳に待ち受ける過酷な運命を
案じずにいられない。
前世関連では、
ルイくんかわいそう…気の毒…と思いがちですが
この頃のシャルルさん(現代に換算すれば小学6年生)が
やらなくちゃいけなかったことは
本当にしんどいと思うので
シャルル王子12歳に待ち受ける過酷な運命を案じずにいられない
— しんの(C.Clarté) (@shinno3) April 5, 2024
アジャンクールの1ヶ月後に✉️
→1ヶ月後、兄急死
→1年後、次の兄と養父も死去
新しく公開しました
【資料】シャルル七世が兄の王太子に送った手紙(3) - 7番目のシャルル、聖女と亡霊の声 - カクヨム https://t.co/eTZn4cicNu
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▼第五章〈ニシンの戦い〉編
- 勝利王の書斎15:塩を入れる
- 5.1 ブロワ城の後方支援(1)
- 5.3 流行歌・ベッドフォード公は賢い
- 5.5 ニシンの戦い(2)追跡
- 5.6 ニシンの戦い(3)激突
- 【2/22限定公開跡地】シャルル七世とリッシュモンの親密な関係
- 5.7 デュノワの武勇伝(1)救援
- 5.8 デュノワの武勇伝(2)危機
- 5.9 デュノワの武勇伝(3)帰還
- 5.10 笑いながら破滅する王(1)
- 5.11 笑いながら破滅する王(2)
- 登場人物紹介:第五章まで
\ここから下は自著の紹介/
自著など
📕最新作:アレクサンドル・デュマの未邦訳戯曲『シャルル七世とその重臣たち』
全五幕の歴史・悲劇を翻訳。現在、カクヨムで公開中。
📕新刊:十九世紀の異端科学者はかく語る: ダーウィンの愛弟子ラボックの思想と哲学
ジョン・ラボックのエッセイ『The Pleasures of Life』第一部を書籍化。
訳者・序文で「ダーウィンとラボックの師弟関係」を書き下ろし。
📕既刊:神がかりのジャンヌ・ダルクと悪魔憑きのトリスタン・ル・ルー
2022年10月21日、シャルル七世即位600周年記念に書籍を出版。
デュマ・フィスの未邦訳小説を翻訳しました。