先日のリトリーバル中、
信念体系・囚われ領域を破壊しようとしたら、
私がやっていること(リトリーバル)は暴力と破壊で、
人を無理やり支配しようとしていると非難されました。
確かに、一理あるかもしれない。
この状況(信念体系、囚われ領域)に疑問を持っている人を
解放する「穴」を開けたのは画期的な手段だと言っている。
でも…
たとえ、第三者が介入して壊したとしても、
当事者に「思い入れ」がある限り、
信念体系・囚われ領域は存在し続ける。
おそらくここは、近代以降はタブーとなっている
嗜虐性を自由に解放できるテーマパークなのだろう。
ある種の人たちにとって最高の天国なのだろう。
彼らに触れるべきではなかった…と少し反省している。
ただ…
アウシュヴィッツ=ビルケナウには
信念体系・囚われ領域が何重にも重なり、
絡まり合っている。
大きく分けて二つのエネルギーがある。
ひとつは、ここで起きた出来事を風化させたくない
被害者・犠牲者たちの祈りと叫び。
もうひとつは、自分たちの思想と行いは間違っていない、
正しかったと信じている加害者・敗北者の主張と叫び。
相反する二つの信念が、皮肉にもニーズが合致して…
悲惨な光景を延々とリピート再生している。
二つのエネルギー、つまり二つの信念体系は、
分割した方がいいと思うんだ。
風化させないために、
苦痛をリピート再生する必要ない。
内なる私…
シャルルさんたち前世よりもずっと奥にいる
私の本体?(人間味の薄い小柄な何か)を呼ぶ。
昔、空間?次元?の角度を変えるとか何とか、
私には理解できないことをしていたけど、
今回は「チャンネル分解」した。
複数の要素(レイヤー)で構成されている
信念体系・囚われ領域をチャンネル分解した…
意味わからないですよね。私もうまく説明できない💦
- ここで起きた出来事を風化させたくない被害者・犠牲者たちの祈りと叫び
- 自分たちの思想と行いは間違っていない、正しかったと信じている加害者・敗北者の主張と叫び
二つに分解しました。
周波数をずらしたともいえる。
私は後者(テーマパーク派)には触れない。
前者を取り上げて、とりあえず彩度を上げてみる。
ここには載せないけどビルケナウの写真を見た。
リトリーバルで知覚した
赤い煙突? 柱? サイロ?のようなものは
監視塔だったと知る。
戦車をトラクターに変えて更地の牧草地にしよう。
地平線を見渡す限り、行く手を阻むものは何もない場所にする。
誰でも出入り自由にする。
真ん中にシナゴーグを作る。
演説台では、誰でも自由に話ができる。
悲しい話をしてもいいし楽しい話をしてもいい。
被害妄想だって全然いい。それは「あなた」独自の話なんだから。
私の話だってほとんど妄想同然だもんね。
こまかいことは気にすんな!
自分のことを話したり、誰かの話を聞いているうちに
離れ離れになった知り合いが見つかるかもしれない。
ものすごくきれいなシナゴーグの画像を見つけた。
(File:Eldridge Street Synagogue (42773).jpg - Wikipediaより)
柵も壁もない、更地の牧草地に演説台がある光景を考えていたけど、
こういう荘厳な聖堂もいいなぁ。
*
最近、リトリーバルもガイドも前世記憶も
私が作り出した妄想(幻想)だと思っている。
こんなことをしても何の意味もないし、
誰の助けにもならない。
誰かのためじゃない。
私の中にある悲しみや怒りや痛みを
和らげるためにやっている。
なんだか、メランコリックが止まらないよー