ビミョーに繋がってますが、このページ単独で読んでも支障ありません。

▼前回
怒りの源泉
「面倒くさい」の理由NEW


 


怒りの源泉から引用します。

 

先日、友人と雑談をしていて、ちょっとした昔話をしました。
シャレにならないというか、呆れるような話なんだけど、でも昔のことだから笑い飛ばそうと思ったのに(今までそうしてきたのに)

 


私は一人で思索に耽ることが好きですが、誰かと話したり聞くことも好きです。

(他人を引き合いにした噂話は控えますが)自分のことなら結構なんでもペラペラと話します。

 

上のリンク先とは別の昔話をしたときに(話し相手も別人)、「なぜ、そのようなキツイ出来事を笑いながら話すの?」と言われたコトがあります。

私の答えは次のとおり。

・昔の話だからニコニコ
・終わったことだから口笛

シャレにならない出来事も、終わってしまえばただの笑い話です。
過去を引きずって悩み続けるより、飲み会のネタとしてさらっと語れるように私はなりたい。

 

その試みは上手くいっているようで、昔なじみの友人に「立派なご両親のもと、幸せな家庭で育ったお嬢さんに見える」と言われたことがあります。

その一方で「誰かに刺されて死にそう」とも。どんなイメージだよ汗

幸も不幸も人並みに経験あるし、そこそこ波乱に満ちた人生だと思う。



IMG_0461.jpg

記事内容と全然関係ないけど、

このポット、アンパンマンの顔みたいで可愛いー爆  笑

 

 

 

昨年末、「『恐怖麻痺反射の統合』と『ネガティブ感情のリリース』」という研修を受けました。
恐怖麻痺反射につきましては、過去記事をご参照ください。

▼関連記事
”才能を開く根っこを育てる「恐怖麻痺反射の統合」と「ネガティブ感情のリリース」”
「恐怖麻痺反射の統合」と「ネガティブ感情のリリース」研修レポNEW

 


懇親会に参加したので、講義以外の余談・雑談もたくさん聞きました。
楽しいときに笑うのは自然な反応ですが、そうではない時に笑ってしまうのは「恐怖麻痺反射の一種」なのだとか。

場の緊張に耐えられないから、

和ませようとして「笑う」

つまり、私が笑いながら話すのは、過去を克服したからではなく、「いまだに恐怖にとらわれているから」とも言えます。

 

 

 

もう一度、怒りの源泉から引用します。

 

先日、友人と雑談をしていて、ちょっとした昔話をしました。
シャレにならないというか、呆れるような話なんだけど、でも昔のことだから笑い飛ばそうと思ったのに(今までそうしてきたのに)

私は泣いてしまいました。ちょっとだけね。


いままで笑いながら話していたのに、できなくなった。泣いてしまった。

以前よりも私が弱体化したみたいですが、正常な反応が戻ってきたとも考えられますね。

研修で学んだエクササイズが、じわじわ効いてきた…?

 

 

 

 


【追記】

恐怖麻痺反射は、親から子へ引き継ぐパターンが多いのですが(スピリチュアルな視点から解釈すると、こういうのをカルマというのでしょう汗)当人に克服する意志があれば乗り越えられます。

私は不都合な出来事を「誰か・何かのせい」にしたくない。
いつまでも「昔のこと」を引きずるのは嫌です。

だからと言って、過去を「なかったこと」にして平気なフリして生きるのは、どこかで無理が生じてくるようで。

今までのように、心(感情とか色々)に蓋をしたまま生きていくと、現世shinnoは「シャルルさんの最期」を繰り返してしまうと思う。それは絶対に避けたい。

 

過去の苦い記憶は、教訓にしてこそ意味がある。

 

 

いろいろ模索中ですニコニコ