ビミョーに繋がってますが、このページ単独で読んでも支障ありません。
▼前回
怒りの源泉
「面倒くさい」の理由
怒りの源泉から引用します。
先日、友人と雑談をしていて、ちょっとした昔話をしました。
シャレにならないというか、呆れるような話なんだけど、でも昔のことだから笑い飛ばそうと思ったのに(今までそうしてきたのに)
私は一人で思索に耽ることが好きですが、誰かと話したり聞くことも好きです。
(他人を引き合いにした噂話は控えますが)自分のことなら結構なんでもペラペラと話します。
上のリンク先とは別の昔話をしたときに(話し相手も別人)、「なぜ、そのようなキツイ出来事を笑いながら話すの?」と言われたコトがあります。
私の答えは次のとおり。
・昔の話だから
・終わったことだから
シャレにならない出来事も、終わってしまえばただの笑い話です。
過去を引きずって悩み続けるより、飲み会のネタとしてさらっと語れるように私はなりたい。
その試みは上手くいっているようで、昔なじみの友人に「立派なご両親のもと、幸せな家庭で育ったお嬢さんに見える」と言われたことがあります。
その一方で「誰かに刺されて死にそう」とも。どんなイメージだよ
幸も不幸も人並みに経験あるし、そこそこ波乱に満ちた人生だと思う。
記事内容と全然関係ないけど、
このポット、アンパンマンの顔みたいで可愛いー
昨年末、「『恐怖麻痺反射の統合』と『ネガティブ感情のリリース』」という研修を受けました。
恐怖麻痺反射につきましては、過去記事をご参照ください。
▼関連記事
”才能を開く根っこを育てる「恐怖麻痺反射の統合」と「ネガティブ感情のリリース」”
「恐怖麻痺反射の統合」と「ネガティブ感情のリリース」研修レポ
懇親会に参加したので、講義以外の余談・雑談もたくさん聞きました。
楽しいときに笑うのは自然な反応ですが、そうではない時に笑ってしまうのは「恐怖麻痺反射の一種」なのだとか。
場の緊張に耐えられないから、
和ませようとして「笑う」
つまり、私が笑いながら話すのは、過去を克服したからではなく、「いまだに恐怖にとらわれているから」とも言えます。
もう一度、怒りの源泉から引用します。
先日、友人と雑談をしていて、ちょっとした昔話をしました。
シャレにならないというか、呆れるような話なんだけど、でも昔のことだから笑い飛ばそうと思ったのに(今までそうしてきたのに)
私は泣いてしまいました。ちょっとだけね。
いままで笑いながら話していたのに、できなくなった。泣いてしまった。
以前よりも私が弱体化したみたいですが、正常な反応が戻ってきたとも考えられますね。
研修で学んだエクササイズが、じわじわ効いてきた…?
【追記】
恐怖麻痺反射は、親から子へ引き継ぐパターンが多いのですが(スピリチュアルな視点から解釈すると、こういうのをカルマというのでしょう)当人に克服する意志があれば乗り越えられます。
私は不都合な出来事を「誰か・何かのせい」にしたくない。
いつまでも「昔のこと」を引きずるのは嫌です。
だからと言って、過去を「なかったこと」にして平気なフリして生きるのは、どこかで無理が生じてくるようで。
今までのように、心(感情とか色々)に蓋をしたまま生きていくと、現世shinnoは「シャルルさんの最期」を繰り返してしまうと思う。それは絶対に避けたい。
過去の苦い記憶は、教訓にしてこそ意味がある。
いろいろ模索中です