大和・長寿道(チヨウジュミチ)沿い。
〈長寿道〉
奈良県橿原市「近鉄畝傍駅周辺~桜井市・安倍文殊院」までの約4キロの道。
昔は、のどかな道でしたが綺麗に舗装されて車がビュンビュン!!長寿には少し遠く成りました
〈三柱神社〉MIHASHIRA SHRINE
神社は、天香久山(アマノカグヤマ)の北側麓の膳夫町(カシワデチヨウ)の中央、橿原市立香久山小学校
に隣接する林に鎮座される神社です。入口は長寿道の反対側の南側から参拝します。
〔御祭神〕三宝荒神。
火産霊神(火産巣日之神)。ヒムスヒノカミ
奥津比古神(奥津比古之神)。オクツヒコノカミ
奥津比売神(奥津比売之神)。オクツヒメノカミ
< 創建年代不明>
拝殿前の石灯籠の一つに「奉造立荒神御宝前貞享三年(1684)八月二十八日」の刻印が有るので創建はこれ以前に遡ると思われます。
<『大和志』/膳夫村坐神祠より>
荒神の域内に神宮寺有り、一名、虚空蔵寺(コクウゾウジ)と称う。
☆膳夫庄内に「宮田虚空蔵田」の御免地があったことがみえる(『談山神社』文書)
<膳夫荘(カシワデノシヨウ)>
大和国十市郡池上郷の荘園。現在の奈良県橿原市膳夫町付近。
大化前代の膳(膳夫)氏の故地。中世は大和國百済・忌部・箸喰の諸荘とともに談山神社領 に属したそうです。(『談山神社』文書)
☆膳(膳夫)氏⇒古代の膳部(カシワベ)を率いて天皇の食事や朝廷の饗膳を掌る氏族。
三柱神社は最初「虚空蔵寺」の鎮守として創建されたものであると推察される(『奈良県橿原市史』)
<本居宣長『菅笠日記』>
「かしはで村の南のかたはらに、森のあるを問へば、荒神のやしろといふ。北にむかヘリ。むかしは南むきなりしを、いとうたてある神にて、御前を馬にのりてとほるものあれば、かならず、おちなんどせしほどに、わずらはしくて、北むきになし奉りしとぞ」と有ります。
*本居宣長(モトオリノリナガ)=江戸時代の国文学者 1730年~1801年。伊勢市松阪の人。
森の南西側、畑から眺める。天香久山。膳夫の林。香久山小学校。(長寿道は林の北側)
南側入り口から入ると正面に鎮座される三柱神社(三宝荒神)。右側は虚空蔵寺(保寿院)の鐘楼台。
「拝殿」
玄関付きの揚げ床で正面に「三柱神社の額」が掛けられていました。(桁行五間、梁行二間)
「瑞垣(ミズガキ)」屋根は銅板葺き。
「御本殿と内廷末社」。御本殿は朱塗りの春日造り。屋根は銅板葺き一間社。
末社は向かって左側に「白山神社」(祭神︰菊理姫命・ククリヒメノミコト)、素木の春日造り銅板葺き。右側に「天照皇
太神社」(祭神︰天照大神・豊受大神)が祀られていました。狛犬は天保五年、大阪西横堀の石工・小嶋屋半兵衛」の奉納だそうです。
「富士浅間神社の石塔」石造りの花筒と石灯籠が奉納されていました。(拝殿西側)
拝殿前には無数の石灯籠から奉納されていました。(拝殿東側)
西側の林。
「手水舎」自然石の水盤でした。後ろは香久山小学校。
鳥居前の「石灯籠」中に電球が入っていました。今も外灯の役割を果たしているようでした。
「弁天社」祭神︰杵嶋姫命。
弁天池前の林
南側入り口を向く。正面は耳成山(近鉄大阪線「耳成駅」)、左側︰虚空蔵寺(保寿院)、左側︰香久山小学校。
お正月はコートを脱いで歩く程暖かでした。畑にはタンポポが咲いていました。
ありがとうございました