ああぁあ,皇居がまさかこんなに臭っているとは!私は久しぶりに東京出張があって,時間が出来たので皇居の周辺を散策してみた.竹橋駅から南下して皇居の御濠に沿って二重橋に向けて歩いた.
写真1 柳
写真2 大手町
写真3 二重橋
途中何かドブ臭いなあと思っていたら御濠の水が澱んで濁って悪臭を放っているではないか!!これは何という事だ.下手をすると鹿児島のド田舎のドブ池よりも臭いぞ.
抑々,御濠とは戦国時代に江戸城に敵が攻めて来るのを防ぐ為に徳川家の人々が民衆に造らせたものだろう.その時代は確かに御濠の役目はあっただろうが,今はどうだろうか.これだけセキュリティーが充実して来ているのに,数百年前の御濠で不審者敵対者の侵入を防ぐという事が果たして国家中枢の権力維持として正しい在り方だろうか?
ともあれ,取り敢えず,一先ず,私はこの御濠の水をもっと循環させる為の大工事を東京都と国が結託して実施するべき時に来ていると思う.天皇がお住いの皇居なのに周りにビルが林立し,我欲丸出しの商売人やら外国の要人が集まるところの脇で,これだけドブ臭いなんて酷い醜いにもほどがある.現権力者は民から税金を取り立てて悪い事の為ばかりに支出しまくっている所為で,日本人として最も重要な天皇のお住いに関わることが物凄く疎かになっている.東京都と環境省を擁護する人もいるようだが,...
江戸城の堀の水はなぜこんなに汚いのか?
この動画,よくできているが,2:20頃に汚水が流入してしまっているとある.千代田区の住民の生活で出る汚水,即ち,風呂の水,洗濯機からの排水,シンクで食器を洗った際の水,延いてはトイレの排尿も含まれているかもしれない.あー,これはいけない.天皇がお住いの御濠に対して失礼この上ない.東京都の関係者の怠慢は決して許されない.将に由々しき事態である.この状況は何としても改善されなければならない.
元々,江戸周辺は沼地であった.神武太平記によると3,000年前の当時,大鳥日出彦が飛翔して関東周辺を探索したところ沼地であるという報告を神武天皇と道臣命にしている.では,江戸城は誰が建てたか?次に示す写真には「太田道灌」という名があるが,
写真4 江戸城址 「...太田道灌によって創築された...」
実際は室町時代に活躍した大傑僧岩屋梓梁が託宣し建造を指示したとされている.当時のこの地の名称は江戸城ではなく,次の図に示す通り「紅葉山呉竹八幡宮」であった.鹿児島伊集院出身の岩屋梓梁が建立させたわけだから,同じ鹿児島県出身の私を含む生粋の日本国民がこの江戸城址をどのように整備するかを決めて良い訳である.
室町時代当時の江戸城周辺(1))
因みに神田明神とは現在の秋葉原にあるし,山王日枝神社は現在国会議事堂隣にある.明治維新の当時は薩摩藩士族が近衛兵として東京中央部を警備していた訳だし,薩摩方言が当時流行っていたという逸話もある.以前も述べたが徳川家康は岩屋梓梁の大勢の実子の中の一人である.ということは,鹿児島県民がこの江戸城址を管理してもよい筈だ.
いっその事,御濠の水を全て抜いて,稲を植えたらどうか?天皇陛下は毎年新嘗祭で稲を植えたり刈ったりされる.その水田は皇居の中心部にあって,面積はたったの240平方メートルである.
15メートル四方の田圃なんて鹿児島の田舎にある平均的な1区画の田圃の面積の半分以下である.これではいけない.天皇が稲を植え刈られる訳だから大きく広くなければならない.ということで,私は御濠の田圃化を推奨する.その方が秋の収穫時には黄金色の稲が皇居を囲んで風情があっていいではないか.
外国人問題などを解決するのも大事なのだが,何より,天皇皇后両陛下のお住まいをより良いものにすべく日本人自身が努力しなければならないのである.
文献
1) 窪田 志一:岩屋天狗と千年王国 下,岩屋梓梁顕彰会,p.66,(1987).