皇居(江戸城址)について,今後どうすべきか現在検討中である.前回も述べたが江戸城築城の真実については窪田志一氏の著書(1))に詳しくある.
第2章 実在した易断政府と岩屋梓梁
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江戸城は岩屋梓梁がはじめて構築したものである.従来史では江戸城は太田道灌がはじめて構築したものだとされているが,本当は岩屋梓梁が紅葉山呉竹八幡宮を易断教団の関東本山として築城し,その艮(うしとら,鬼門)と坤(ひつじさる)の方向にそれぞれ八間の等距離に神田明神と山王日枝神社を創建して本山の鎮めとしたのである.易断教団政府は文治による宗教政府であるだけに,一山を守る僧兵の他は武家政府の様に常備兵力を蓄えていなかったから,岩屋梓梁は自分亡き後の教団勢力の弱体化を恐れて,その本拠たる本山は雄大堅固に構築したのである.大阪石山の関西本山(後の大阪城),仙台青葉城,姫路城,熊本城,岩戸の亀岡城,琉球那覇港口の屋良座森など,いわゆる「平城」なるものは岩屋梓梁が発想してその築城を指令したものなのである.
室町時代当時の江戸城周辺(1))
成程,「その艮(うしとら,鬼門)と坤(ひつじさる)」の方向がキーワードである.特に,2025年現在裏鬼門とされる坤(ひつじさる)の方向が可成り見苦しいみっともないことになっている.抑々,風水の世界では次の様に坤というのは方角的に不味い事が起こる方角の様である.Google AIで調べたら次のような説明が出て来た.
坤(ひつじさる,未と申の間)は南西の方角を指し,鬼門(北東のうしとら)の反対にあたるため「裏鬼門」と呼ばれます.家相学や風水では,坤を含む裏鬼門は鬼門と並んで不吉な方角とされ,水回り(キッチンやトイレ,浴室)を配置することが忌まれます.
坤(ひつじさる、裏鬼門)とは,
方角:南西(未と申の間)
特徴:鬼門(北東)の正反対の方角であることから「裏鬼門」と呼ばれます.
意味:鬼門と同様に不吉な方角とされ,家相学や風水において建物の配置を考える際に注意が必要な場所とされています.
裏鬼門(坤)に配置を避けるべきもの
水回り:キッチン,トイレ,浴室など湿気が多く汚れやすい場所は避けるべきとされています.
玄関:鬼門と同様に玄関の配置にも注意が必要です.
避けるべき理由
マイナスの気:裏鬼門はマイナスの気が発生しやすい場所とされており,配置が不適切だと家全体の運気が低下すると考えられています.
鬼の出入り:鬼門と同様に裏鬼門にも鬼の出入りがあるとされ,家の中に不浄なものが入るのを避けるべきという考え方があります.
皇居から南西の方向といえば,上図にも示す通り山王日枝神社である.この隣が国会議事堂及び霞が関である.将に,在日朝鮮韓国ユダヤ勢力という名の「鬼」が棲みついている状態である.その鬼の背後にいる悪霊は邪神・邪霊ともいうが,昭和末期に縁信氏及び取次の器械率いる宇宙学徒の方々の御神業によりその勢力は一定程度解体されたかに見えたが,
...彼等は地上人間の起こす悪想念を国会に集めて騒ぎを大きくし,その悪想念を地下から陛下に送って陛下を苦しめていた....が,その地下基地は完全に爆破した....
未だにその国会の三次元四次元での地下基地は機能しているに違いない.実際,徳仁天皇だけではなく日本国民全体を重税とワクチンで苦しめているではないか.室町時代の築城当時の江戸城は念入りに将来を見越して神社などを配置して計画されたものであった.が,残念ながら数百年経った今それが全くプラスに機能せず,折角の徳仁天皇の御力が日本国民に遍く循環していないのである.御濠の水の循環が全くないのが一つの原因でもあるのだが,江戸城址とその周辺の諸要所など全体の配置が駄目だ.もう限界に来ている.
ここは,一大決心して「遷都」する時が来たように私は考える.京都御所に天皇は帰るべきである.明治初年当時,京都におわす明治帝が東京に行幸と称して遷られた.天皇が京都御所に帰られたとしても,国民には何も問題はない.是非とも京都に御帰りになってほしい.
では,天皇が不在となる江戸城址をどのように変革するべきか?早急に変革する必要はあるか?東京周辺は現在風紀の乱れたチンピラ外国人が居座っている.その連中をこの地から排除しない限り日本人の幸福はいつまでも訪れない.先ずは,国士たる自衛隊や警察や保安庁が不法滞在外国人の早期送還を強制執行すべきである.
文献
1) 窪田 志一:岩屋天狗と千年王国 下,岩屋梓梁顕彰会,p.66,(1987).