邪霊戦の最中に大事な真理が語られたので,今回はそれを記す.
神に喋らされた邪霊の告白 縁 信
戦況の方は相変わらず激戦が続いているが,今回は,吾々宇宙学徒にとって洵に重要な内容の邪霊の告白を得たので,以下橋本授諭者の書き取りから次に書写させて頂く次第である.
(平成元年8月13日夜の御神業から)
...星界中の人間に,わしらが一旦入り込むと,体で策を設定するという事は何も難しい事ではない.一旦入り込んで我らが思うことを考えること,したい事,全ての悪事をその体内において念を起こし実際にそれを実施するという事は,既に策の設定であって,わしらはその体内から逃れて離れることがあっても,わしらは一旦そこにおいて起こした想念というものは,その体内において又蘇らせることが出来るという道理であって,特に難しい策を設定して,こんな難しい策が設定できると威張っている訳ではない.
それで人間はワラ人形だと言われているのはそういう処だ.ワラ人形にならないようにしましょうという事は,己が悪魔に操られているのではないかと気づくことが先ず第一であって,悪魔に操られている自分に気付くという事は悪魔が這入って自分を動かしているという道理を知ることであって,その策に気付くことであるぞ.悪魔をその体内から出さねばならぬという事は,光を体内に入れるということで,それは又洗心という事になるんだ.それでお前らの大神様は人類に向って,洗心洗心と言われているのは,洗心によって我らが逃げ帰ることが出来ぬ様に二度と我れが設定したその策を使用することが出来ぬ様に,洗心によって御光によってその念を打ち砕いて(不明)されよということである.
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...私は今何も分からずペラペラと喋らされておりましたが,喋っている私が全てを理解して喋らされたという訳ではないのであって,私も今初めて聞いてびっくりしたところもある訳でございまして,何とも情けない事でありまして,やはり大神様のお仕組は凄いなと私も思っているところでありますよ.
以上,長い高説ではあったが,要するに,邪霊というのは肉体を持たないのでそこらに浮遊していて,軽々と人間の体に這入ったり出たり,また別の者に取り憑いたりしている訳である.そして,「わしらはその体内から逃れて離れることがあっても,...一旦そこにおいて起こした想念というものは,その体内において又蘇らせることが出来る」とあるように,悪い低級な想念波動をその憑りついた人間に自在に起こさせることが出来るのである.このブログの読者は自分自身はそんな邪霊や地獄霊が自分の身体を占拠している筈がない,と高を括っていらっしゃるだろう.だが,よ~く日頃の生活を振り返ってみると,「あの時に何故あのような凄まじい感情を爆発させて怒りや咎めを出してしまったのか?」などと,おかしいことに気付くことは屡々有る筈である.だから,こういった邪霊共が恣に活動できないような良策事前策こそが「洗心」なのである.神霊星界通信記録で「各個人が夫々に只管洗心に励めよ」,というふうに神々様がもう耳が痛くなるほどに何度も何度も繰り返し繰り返し述べていらっしゃったのはその為である.
最後に,この邪霊が本当のことを述べた.「私が全てを理解して喋らされたという訳ではない」とは,最早取次の器械に捕捉されれば,自分の意図する邪な事とはだいぶ異なる真面な真理を語らされる訳である.神の御光とはそれほどに強烈なのである.その後,この邪霊は抹殺されたか,或いは天に揚げられて,そこで神々様からの厳しい指導があった様である.
文献
1) 城戸縁信:縁大先生・高天原,宇宙の理,ザ・コスモロジー,No.201,p.8, 61,(1989年10月).