故城戸縁信氏はその当時この御神示「宇宙創造の目的」の最初に「はじめに」として次の一文を載せている.
 「畏れ多くも宇宙創造神が,この大宇宙をご創造あそばれた目的は,全ての生命に対して『永遠の至福を与える為である』と述べられている.こんな有難い,理に叶った(適った?)話はこの世の何処にもない.しかも,取次の神様は,大神様を『信じろ』とも『拝め』とも述べられていない.ただ,『大神様の大愛を悟れ』と仰せられている.世間の宗教のように,『信じろ』とか『拝め』とか言うのは,本当の大愛の神ではない.それは邪な神である.禅宗のあたりは世間の宗教とは一寸異なる処があり,この『悟(さとり)』に就いて多くを述べているが,『それは無である』とか,『無の中に一切が包含されている』とか”判ったようで解らぬ理論”が展開されているが,結局,地球次元のものは,幾ら窮めてみてもそれだけのものでしかないのである.宇宙の叡智者は,永い永い無限時間のうちの生命の至福について語られるのである.」
 縁信氏がこのように語ってから既に40年以上が経過しているが,地上文明日本の状況は殆ど変わっていない.相も変わらず,生〇の家や統〇教会・創〇学会系列の新興宗教が全国に林立して馬鹿な信者を騙して金を巻き上げて商売をし,世間を牛耳っている.一体何時になったら人々は宇宙の真理に辿り着くだろうか.この御神示に全てが説かれているのだが...

 御神示No.47 「宇宙創造の目的」取次の神より (続き)

 悉ゆる次元と実質は生命進化至福に尽さんが為に存在意義を有するなり.汝等三次元にては幾兆億とも知れざる恒星も,更に其の幾十倍とも知れざる遊星も,其の遊星上に生くる諸々の存在も悉くが生命の為のものにして,それ以外に存在理由無きなり.各惑星・衛星は人類の館にして,其の星の大気,水,地質,引力,気象条件等は軽重濃薄の差はあれ,何れも汝等が棲む地球と大同小異の諸条件を備え有るよう仕組まれしものなり.
 三次元不良星界にて棲息為す汝等人類は,今様々なる苦患*1を背負い有れども,自身の魂の修行なり.磨かざれば光らじ.幾多の体験は其の為のものなり.其の磨きの期間は汝等が不良星界に在りて自らが大神様の大愛を悟るに至る年月耳なり.優良星界人類となれば不幸一切無く,真の幸福を得,更に高き場へと進むに従いて幸福が弥増し,遂には永遠の至福を得る様図らわれしなり.
 此の「永遠の至福の時間」に比ぶれば,汝等が修行期間は瞼の瞬きに等しきなりとも,俯仰の間に等しきなりとも過般に申せし如くなり.故に今汝等の努力の幾千倍,幾万倍の幸となりて汝等自身が享受できるよう大神様の大愛の御図らい有るを知るべし.天則の悉くは此の為のものなり.
 即ち,宇宙創造の目的は,其の個生命が永遠の至福を与えられんが為のものなり.爾,大神様の御図らいに因るなり.
 昭和56年4月1日 未明  神 示


*1 くげん

<解説> (Shinmoedake2011による)
・全ての次元と実質は生命進化と至福に尽力する為に存在意義を有しているのである.
・お前ら(我々)が三次元で幾兆億とも知れない恒星も,更にその幾十倍とも知れない遊星も,その遊星上に生きている諸々の存在も,全てが生命の為のものであって,それ以外に存在理由は無いのである.
・各惑星・衛星は人類の館であって,その星の大気,水,地質,引力,気象条件等は,軽重濃薄の差はあっても,全てがお前ら(我々)が棲む地球とさほど大差ない諸条件を備えて仕組まれているのである.
・三次元不良星界に棲息しているお前ら(我々)人類は,現在様々な苦労患いを背負って生きているけれども,それは自身の魂の修行の為なのである.
・その魂は磨かなければ光らない.
・多くの体験はその為のものである.
・その磨きの期間はお前ら(我々)が不良星界にあって自らが大神様の大愛に気付くに至るまでの年月だけである.
・優良星界人類となれば不幸などは一切無く,真の幸福を得て,更に高い場へと進むに従って幸福が愈々増し,遂には永遠の至福を得るように神様が図らってくれているのである.
・以前も述べたように,この「永遠の至福の時間」に比較すれば,お前ら(我々)の今の地球地上での肉体体験による修行期間は瞼の瞬きに等しい,或いは,ほんの僅かな時間に等しいのである.
・故に,今お前ら(我々)の努力の数千倍,数万倍の幸福となってお前ら(我々)自身が享受できるように大神様の大愛で仕組んで下さっているを知るべきである.
・天則の全てはこの為のものである.
・だから,宇宙創造の目的は,その個別の生命が永遠の至福を与えられる為のものである.
・これは将に大神様の御図らいに因るのである.

 この御神示の後に縁信氏は次のように綴っている.「これは宇宙学の大きな要点の一つである,①人間が何の為に生かされているのか,②人生の窮極の目的は何か.この二点を知っているのと知らないのとの差は大変な違いである.罪を犯したり,自暴自棄(ヤケクソ)になったり,世を呪ったりするのは,この二点①・②を知らないからである.また一般的には,地位・名誉・金銭を追い求めてアクセク暮しているが,この二点①・②を誰も教えるものがいなかったからである.道を求める人がこの二点①・②を知り,更に大神様の大愛を知ったならば,『朝(あした)に道を開かば夕(ゆうべ)に死すとも可なり』という心境にもなるのである.換言すれば『人間はこれを知る為に輪廻転生を繰り返して来た』とも言えるのである.有難いことである.」
 将に,この御神示では人間が数十回の生き死にを繰り返して辿り着ける高い境地を至極端的に述べて下さっている.宇宙学に辿り着いた人々は宇宙の真理を御神示を通して深く知ることが出来るのである.紆余曲折を経て漸くこのブログに辿り着き,この御神示にふれた方々は本当に幸せ者だ.

引用=城戸 縁信:「宇宙創造の目的」,宇宙の理,No.104,ザ・コスモロジー,(1981).