テレビに出てくる人々のことを一般に「芸能人」という.私はこの芸能人を「しっかりした歌や踊り,芝居などができる能力を有する人」と定義したい.で,その芸能人とは一体誰であるか.代表的な人物として私は美空ひばりさんであると思っている.あと他にそういった意味での芸能人は数人いるだろうか,芝居では3~4人,歌の方も3~4人だろう.それ以外の人々は芸能人ではなく,芸人だったり脇役だったりで,一芸に秀でているというほど能力が高いとは言えない.ここ最近のテレビや映画に出演する人々は美空ひばりさんなど往年のテレビ開局初年頃と比べると著しく能力が落ちていることは確実である.
 私は美空ひばりさんの歌声を聴くとホッとする.音程が絶対に狂わないし,戦後復興期の日本人に活力を与えてくれた.また,ある種の高い次元からの声であるような気がする.生前,レコーディングの際には美空ひばりさんの歌声に合わせてバックの演奏団が調整するというのが当たり前であったらしい.ある楽器奏者の音程が一音ずれただけで,美空ひばりさんはその日のレコーディングを止めて帰ったというエピソードは本当だろう.今とは全く逆である.そんな大天才が今後日本で現れるだろうか?
 そんな,美空ひばりさんの霊界通信があるのでそれを3回シリーズでここに記す.

美空ひばり霊の語り (平成4年10月19日受信)

 私は加藤和枝でございます.芸名は美空ひばりでございます.私は歌手でした.6歳から歌っておりました.50過ぎた頃に亡くなりました.何しろ病気になる前から体がだるくて,体の色んな所が痛みました.ストレスと仕事のし過ぎだと思っておりました.腰と足と,心臓も苦しくなりましたけど,それは歌で鍛えておりましたから余り感じませんが,時々なっておりました.
 私は何時も人に見られていました.どんな時でも人に見ていられるということが頭から離れませんでした.何時も緊張しておりました.外見を繕うことが沢山ございました.何でも格好良くしなければいけない,人には笑顔を忘れてはならない,誰にでも気を向けなければいけない,それは自分の体の中に確りと入り込んでいて,人の前に立てばそれが当たり前になっておりました.
 歌を唄えば色々な事が忘れられる.舞台に立って歌を唄っている時が私にとって一番楽しい事でございました.歌しかございませんでした.他のことをしようとしても何もできません.私は50何歳まで子供の気持ちで来ました.<ご結婚はなさっていたんですか>一度は結婚しましたけれど,やはり私には一人で芸の道に生きるのが一番合っていることに気が付きました.(続く)


 この語りは補助器械である木村女史に霊界の美空ひばりさんの霊魂が一時的に宿っている状態である.この当時,取次の器械が日本に一台いらっしゃって,補助器械が全部で多い時には数十名いらっしゃったようである.< >の部分は授諭者の木村氏が美空ひばりさんに語りかけた言葉である.このように霊界にいる様々な方々と通信することが嘗ては出来たようである.現在でも幾名かはなさっている筈である.
 上記の語りの内容から判断して私は直観的に美空ひばりさん本人の霊魂である気がしてならないのである.1989(平成元)年6月24日に他界されて,霊界で過ごされて4年後に宇宙学に縁を持つことになられたようである.
 人前で歌うというのは様々な念波を受けることになるので,自分では把握し得ない多くのネガティブな波動も真正面から受けることになる.そういったことも体を悪くした原因かもしれない.

引用=霊界浄化通信 (補助器械 木村女史・授諭者 木村氏):宇宙の理,ザ・コスモロジー,No.247,p.40,(1993).