2011年1月27日に起こった新燃岳の爆発的噴火騒ぎのときは本当にその噴煙の大きさに驚いたものでした.その約2か月後に311が起こったり,富士山噴火が危険視されたりと2011年は洵に慌しい年であったと記憶しています.そして,インターネットで情報を収集するようになり,多くのことに気付いて私の世界観が大きく変革した年でもありました.
 現在,霧島連山や桜島の雄々しい姿を毎日見乍ら,天孫降臨の歴史溢れるこの地域で穏やかに過ごさせてもらっています.このことだけでも,宇宙創造の大神様に感謝です.
 一方,私の実家は同じ天孫降臨の伝説のある市で,所謂「部落」と称される地域にあります.これまで私自身は特に差別を受けた経験は全くありません.人口が極端に少ない地域でしたので,田舎の田圃山川海で跳び走り泳ぎ乍らのびのびと成長させてもらいました.この大自然が私にとって本当の教師であったように感じます.中学・高校・大学と幾人かの熱心な教師に一応お世話になりはしましたが.
 ところで,500年以上前にやや近くの「伊集院」という地域に一人の超偉人(異人)が誕生しました.橋口弥次郎左衛門兼清という名です.僧侶として「岩屋梓梁」とも呼ばれていました.フランシスコ・ザビエルを鹿児島に招いたとされるヤジロウとはこの岩屋梓梁のことです.岩屋梓梁の側近の一人に〇〇〇駿河という御方がいました.私の苗字はその方と同じです.詳しくは,窪田志一著「岩屋天狗と千年王国」に載っています.そうすると,私はその岩屋梓梁を支持していたグループに所属していた方の末裔ということになります.そのグル-プとは「易断党」と呼ばれていました.岩屋梓梁は1520年頃,今の大阪城を拠点として易断政府を樹立し,自身は右大臣となって時の天皇を支え,この日本を事実上支配していました.易断政府とは大日如来を崇拝する神仏習合天皇中心祭政一致教団政府のことであり,凡そ50年間に亘って治め,琉球や蝦夷地を含む日本国のみならず朝鮮半島,ロシア沿海州までの広い地域において重要な多くの事績を残しました.日本書紀や古事記,平家物語,万葉集など古典と称される文献のほぼ全てを実はこの岩屋梓梁が主導して完成させました.また,その窪田氏の本には驚嘆すべきことに,聖徳太子・菅原道真・空海・弁慶・平将門などはこの岩屋梓梁本人の擬制であるとあります.
 ところが,德川幕府は岩屋梓梁本人の功績のみでなく,その易断政府に関わった易断党なる人々をも悉く壊滅させ,過疎地域に隔離したりして迫害してきました.江戸時代の身分制度の中での最下層に「エタ,非人」という人々がいたと私は歴史で習いましたが,このエタこそが易断党のことであるというふうにこの本を読んで確信するに至りました.
 故に,私は数百年間に亘って迫害されて来た家柄の子孫です.何故,こんな辺鄙な場所に私の先祖は家を建てねばならなかったかを長年思い巡らしてきました.平家の残党であるということについても,長年調べてみましたがどうも納得いかず,この度,窪田氏の著書に出会って漸く先祖は易断党であったという事実を受け入れるに至りました.
 そして,私は尋常の理解力では到底理解困難な「御神示」に魅了され,宇宙の真理を追究することを生業とすると決心したわけです.このことは上記の流れからすると何か運命的なものを感じずにはいられません.德川幕府の易断党追放方針の体制を継続していた明治政府の歴史隠蔽体質はその後も大正・昭和・平成と来て,令和のこの御時世においてもその政治体質は未だ何も変わっておりません.この数百年の流れを如何にして方向転換するかが私のライフワークであると考えております.ですので,私がこのブログでお示しした多くの宇宙の真理について少しでも多くの方に触れて頂き,この世の真の姿をしっかり認識して頂きたいもので御座います.

参考文献
窪田 志一:岩屋天狗と千年王国 下,岩屋梓梁顕彰会,(1987).