宮司のひとりごと -491ページ目

平成21年 2月 6日 父親の思い出 3


 昭和40年代は両親が神社経営の安定に向けて心血を注いだ時代でした。


昭和50年代になると、私も一人前になり両親とともに神明奉仕に励みました。


このころは多少の余裕ができ、両親がささやかな旅行などに出かけていました。


私も独り身の気楽さから、秋田県神道青年協議会の役員を務め全国の理事などの


末席に連なったこともありました。これも両親の理解があったればこそです。


この頃の父親は一番元気な時でした。好奇心旺盛で何にでも興味を持っていました。


父は戦前陸軍士官としてベトナムで終戦をむかえたそうです。


このころ現在のベトナムのホーチンミンに戦友と出かけました。


香港経由で時間がかかったようで、戦前の建物がそのまま残っていたそうで


感激していました。



平成21年 2月 5日 父親の思い出 2


 昭和30年代の後半になると、神社経営も安定してきました。


当時は神社での神前結婚式が盛んで斎館を建て、披露宴会場をはじめました。


結婚式関係の仕事は昭和40年代後半まで続きました。


私と妹はこのことで、大学に進学することができたと思います。


後に聞いた話ですが、学生時代妹と一緒に生活していた時月7万円の仕送りでした。


その時両親は3万円で生活していたそうです。


いつの時代も、親は子供の為に頑張っているのだと実感しました。


現在の神社の基礎はこの時に作られたと思います。


昭和50年年代にはいると、御祈祷・出張祭・参拝者すべてが増えて時でした。


神社らしくなった時です。


父親は私の提案をよく聞いて、理解してくれました。


また、神道青年協議会の全国の会合にも理解をもって出させてくれました。

平成21年 2月 4日 父親の思い出


 父親が帰幽してから、早いもので10日が過ぎました。


私の両親は子供のことは一生懸命頑張ってくれました。


幼稚園は当時秋田では珍しかった二年保育でした。


昭和30年4月に小学校に入学し、革の靴と知り合いの靴屋さんが作ってくれた


オーダーメイドのランドセルでした。


また、父親は映画大好きで毎週のように映画館に行った記憶があります。


はっきり覚えているのは、「OK牧場の決闘」です。このテーマソングは


今でも覚えています。


この頃は、宮司とサラリーマンの二役でスクーターに乗って頑張って


いました。


昭和35年の7月に土崎に引っ越ししたと思います。


この時代の神社はまだ現在のように賑やかではなかったようです。


七五三の風習もなく、最初のころは2組だけだったと聞いています。


現在の神社は両親の頑張りの上にあるといえます。


お正月の初詣も、元旦の午前中で参拝も終わりで、午後から片付けを


やって、夜は家族でゆっくりと食事をしていました。


今では想像がつかないくらいのんびりしていました。


振り返ってみると、裕福ではなかったけれど、生活が困っていたわけでも


なかったようです。


両親がうまくやっていたのでしょう。


私と妹は何も知らないで生活していたのでしょう。


昭和30年代の半ばまでは、ゆったりとした時間のなかで育ちました。

平成21年 2月 3日 福豆まき

 

 今日は午後5時から節分祭福豆まきを斎行致しました。


参列者を多く集めるには日曜日に行えばいいと思います。


しかし、私たちが季節の行事や伝統行事の日程をなし崩しにしてしますと


訳のわからないことになるでしょう。


午後5時も子供たちが学校から帰る時間に合わせたつもりです。


その日に込められたものを大切にしたいと思います。


来年も二月三日午後五時に土崎神明社でお待ちしております。


     
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平成21年 2月 2日 明日は節分

 

 明日3日は節分です。


神明社でも午後5時から節分祭を斎行し、福豆を撒きます。


節分は、大寒の末日で「明け」ともいい「鬼やらい」や「豆まき」を行います。


本来は季節の変わり目である立春・立夏・立秋・立冬の前日を節分と


よんでいました。


そのなかで立春の前日は二十四節気の起点すなわち年の初めであるから


重視され、とくにこの日だけが節分といわれ行事がなされるようになりました。


神明社では、豆に込められた福を皆様にお分かちします。


皆様お揃いでお出で下さい。



( 参考   神道辞典  )

平成21年 2月 1日 熨斗袋の上書き


 今日は厄祓や年祝の御祈祷で一日賑やかでした。


最近電話等でのお問い合わせで、一番多いのが熨斗袋の上書きです。


神社の場合は、「初穂料」「御神前」「御供」「玉串料」「御榊料」等が


一般的です。


当神社では「初穂料」ということでお願いしております。


当然なことですが、熨斗袋は紅白の物になります。


平成21年 1月31日 如月(きさらぎ)


 早いもので1月も終わり、明日からは2月如月です。


陰暦二月のことです。


寒さのために衣を重ねることから、キサラギ・キヌサラギ(衣更着)


陽気が発達する時節であることからキサラギ(気更来)


正月に来た春が更に春めくところからキサラギ(来更来)等いろいろあります。


神明社では二月一日より、厄祓・年祝(健康長寿祈願)を斎行しております。


三日は午後5時より節分祭・福豆まきを行います。


二十七日は午前10時より祈年祭(春祭)を斎行します。


祈年祭はこの年の、国の隆昌、皇室の弥栄を祈念し、五穀の豊穣、


商工業を始め諸産業の繁栄氏子崇敬者の安泰を祈願します。


昨年末より父親の入院、新年の諸神事などであっというまでした。


二月はこれまで以上に気合いをいれていきます。



平成21年 1月30日 節分福豆まき


 当神社では2月3日(火)午後5時より節分祭を斎行して、引き続き福豆まきを行います。


豆に込めた福をお分かち致しますので、皆様お揃いでお出かけ下さい。

平成21年 1月29日 密葬


 本日午前11時より近親者と神社責任役員・古願主・顧問の参列で密葬を執り行いました。


好天にも恵まれ、無事に終了できましたことありがたく思っております。


ここ5年間に渡って病気と仲良くしてきた父親でしたが、いなくなると親の有り難味が良く理解できます。


この後、10日に本葬がありますが多くの皆様の力をかりて滞ることなく済ませたいと考えております。

平成21年 1月27日 火葬場にて


 本日午後2時より父親の火葬を行いました。


約1時間30分かかりました。


体格が良かったので、遺骨は思いのほかありました。


骨箱からあふれる位ありました。


父親と本当にお別れをしたと感じました。


人生60年での、最大の別れの日となりました。