宮司のひとりごと -490ページ目

平成21年 2月17日 訃報


 当神社に永年ご奉仕いただいている、男鹿市脇本鎮座 菅原神社


宮司 伊藤宗昌様が15日に帰幽されました。


私も長い間菅原神社のお祭にお勤めをさせていただいております。


長い間のお付き合いで本当に残念です。


先月25日は当神社の名誉宮司が帰幽しましたが、実はこの15日に


私の家内の父が逝去し、本日葬儀が執り行われました。


ごく親しい人が亡くなり非常に悲しい気持ちです。


人間の命には限りがあると言われていますが、このようなことも


現実なのでしょうか。



平成21年 2月16日 冬景色


 昨日の天気がうそのように、一転冬景色になりました。


旧暦ではまだ1月22日で冬真っ盛りです。


ここしばらく好天が続いていたので、もう春が来たかと


勘違いをしていました。


この寒さもあとひと月です。


冬を楽しみましょう。


                           

                          
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平成21年 2月15日 年祝


 本当は昨日のバレンタインでチョコレートを山のようにいただいた


とでも報告したいところですが、残念ながら私が所属している


ロータリークラブの事務局のお姉さんから頂いた一つのみでした。


2月は約祓・年祝の月ですので、御祈祷の方がお見えになっていますが、


今日は平成17年に曳山委員長を務められた方で組織している「壱七曳友会」


の会員の還暦年祝の神事が斎行されました。


このような形で神事が行われたのは初めてです。


これからの、曳山行事にお力を貸していただければ幸いだと思っております。


年祝の三名皆様おめでとうございます。


                              

   
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平成21年 2月14日 結婚式


 本日午後12時30分より、土崎在住の山下さんと渡邊さんの結婚式を


斎行しました。


当神社の曳山行事にも参加しているお祭好きな、素敵なカップルです。


これから幸せに、二人で仲良く歩んで下さい。


本当におめでとうございます。


         
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平成21年 2月13日 父親の思い出 8


 今日も何名かの方がお参りにきてくれました。


本当にありがたいことです。


父親の思い出話で、車を豪快に運転していたのこと。


満90歳まで運転していましたから、かなり危うい運転かもしれませんね。


ささやかなことでも、想い出話しがあることは幸せなことだと思います。


元気なおじいさんでした。

平成21年 2月12日 父親の思い出 7


 10日の葬儀は無事に終わり一息ついています。


今は心の中の一部に穴があいたようです。


96歳の父親が寝たきりでも、そこにいるだけで存在感がありました。


私にとって偉大な存在でした。


しかし、いつまでも後ろばかり見ている訳にはいきません。


これからも、今まで以上にご支援ご協力をお願い致します。


よろしく。

平成21年 2月10日 神葬祭斎行


 本日父親の神葬祭を斎行し、一連の葬儀を無事に執り行いました。


午前11時より秋田市の「セレモニーホールへいあん」にて多数の参列者の


もとに葬儀を厳粛に斎行できました。


葬儀の終了での安心したことと、また一抹の寂しさが感じられます。


これで父親との本当の別れなのだと実感しています。


早く平時の状態に気分を切り替え、27日の祈年祭・奉賛会総会に向けて


準備を始めたいと思っております。


父親の神葬祭に際し、多くの皆様のご厚情に御礼申し上げます。



                      
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平成21年 2月 9日 父親の思い出 6


 平成になって仕事の量も少なくなりましたが、一部の地域では


まだ父親が奉仕しないと承知しない地区がありました。


私が行くと、お婆さん達が今日は若い人が来たと残念がって


いる光景が見受けられました。


いくつになっても、父親にはかなわないと本当に実感しました。


今、いなくなって父親のありがたさが身にしみています。


すべてのことが自分自身に降りかかってくるのですから。


父親から宮司を引き継ぐ前は、仕事の8割以上は、私がこなして


いたと思っていましたが、目に見えぬ事が山ほどありました。


現在の神明社は、両親のたゆまない努力の結晶です。


これからも、母親と私たちの家族、そして、松田奉賛会長はじめ


役員・総代の皆様と共に神社護持・運営に励みたいと思います。


明ければ、本葬となります。今夜は亡き父を偲び最後の夜を


過ごします。




平成21年 2月 8日 父親の思い出 5

 

 昭和から平成への御代替わり時、父は秋田県神社庁の理事を務めており他の


役員の皆様と昭和天皇のお見送りをさせていただきました。


この頃も元気で車の運転も普通にしておりました。


私も結婚して、平成元年に長女・平成3年に長男が生まれ、うち孫の顔を両親に


見せることができました。


平成の時代は仕事も良くしてくれていましたし、両親そろって色々な所に出かけていました。


しかし、年とともに体力が落ちてきて、満90歳をもって運転免許を返納しました。


本人はもっと運転したかったようですが、これ以上はということでやめてもらいました。


残念ながら、車から離れるようになったら病気がちになり、前立腺を患い間もなく


車椅子生活となりました。


特に、トイレが大変で本人は頭がしっかりしているので、家のトイレで用を足したいとの


要求で母が非常に難儀をしていました。


また、このころからデイサービスに通うようになり本人も楽しみして、喜んで


母と二人で通っていました。


スマイル輝の皆様には本当によく介護をしていただきました。


最初は年に1回の入院でしたが、年とともに入院回数も増えていきました。


秋田組合総合病院に皆様にも献身的な看護をしていただきました。



平成21年 2月 7日 父親の思い出 4


  昭和50年代は神前結婚式が減少し、本来の御祈祷・出張祭の仕事が


中心となりました。


私も一人前になり、事務は父親で神事は私という分担で仕事をしていました。


神明社の曳山行事も年々賑やかになり、曳山の奉納台数も増えてきました。


しかし、昭和60年代には戻り曳山で痛ましい事故がありました。


奉賛会松田五名総代を中心として「曳山実行規約」を制定し、責任の所在を明確にし


安全で楽しい曳山行事が行われるようになりました。


平成に入ってからは、文化財の曳山をいうことで秋田県の記録選択の文化財


秋田市文化財、秋田県文化財、平成9年に国の重要無形民俗文化財に指定され


まさに一流の曳山行事の仲間入りをはたしました。


このことは、私の父親が宮司として当時の役員・総代の皆様と力を合わせ神社の


護持・運営に務めた証であろうと思います。